2021年8月、10年にもわたる長期連載の末に堂々の完結を迎えた『ジョジョの奇妙な冒険』第8部『ジョジョリオン』。
しかし、その最終回が公開されると、ファンの間では「感動した」という声と共に、「これはひどい」「後味が悪い」といった厳しい意見も数多く飛び交い、まさに賛否両論の嵐が巻き起こりました。
なぜ、多くのファンが待ち望んだフィナーレは、「ひどい」とまで言われてしまうのでしょうか。
そこには、ラスボス戦への評価や、作中に散りばめられた多くの伏線が未回収のまま終わってしまったことへの不満が関係しているようです。
特に、物語の鍵を握るホリーさんがどうなったのか、という結末は多くの読者に衝撃を与えました。
この記事では、なんJ(現5ch)などでのリアルな反応から、まことしやかに囁かれる打ち切り説との関係、そしてラストで描かれたケーキの意味や物語全体の深い考察まで、あらゆる角度から『ジョジョリオン』の最終回を徹底解剖します。
あなたが感じたモヤモヤの正体が、きっと見つかるはずです。
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ジョジョリオンの最終回がひどいと言われる5つの理由
ジョジョリオン最終回に対するファンの声
結論として、『ジョジョリオン』の最終回に対するファンの評価は、手放しでの絶賛とはならず、「感動したが、割り切れない部分も多い」という複雑な感想が大多数を占めています。
この背景には、物語のテーマ性は理解しつつも、読者が期待したカタルシスやハッピーエンドとは異なる、ビターな結末が描かれたことが挙げられます。
具体的に、ファンからは以下のような声が多く聞かれました。
- ホリーさんを救えなかったことへの不満
「呪いを解く物語」と銘打たれていながら、主人公・定助の母親代わりであり、物語の目的そのものであったホリーさんを救いきれなかった結末は、多くの読者に大きなショックを与えました。
「何のための戦いだったのか」という虚無感を覚えてしまったファンも少なくありません。 - 東方家の大きすぎる犠牲
呪いを解く過程で、東方家は長男・常敏やその母・花都など、多くの犠牲を払いました。
特に花都は、長年の服役から戻ってきて早々の退場となり、その唐突な展開に戸惑う声も上がりました。
最終的に家族が再生する様子は描かれたものの、失ったものの大きさに、素直に喜べないという意見が見られます。 - 主人公・定助の幸福
記憶を失った状態から「自分は何者か」を探し続けた定助。
最終的に「東方定助」というアイデンティティを得ましたが、彼の半身である吉良吉影と空条仗世文の人生を思うと、これもまた完全なハッピーエンドとは言えないかもしれません。
彼が背負うことになった運命の重さに、やるせなさを感じるファンもいます。
このように、単純な善悪二元論では語れない、現実の理不尽さや喪失感を色濃く反映したエンディングであったからこそ、ファンの間でも様々な意見が飛び交う結果となったのです。
ジョジョリオン最終回のなんjでの反応
結論として、なんJ(現在は5ちゃんねる)を始めとする匿名掲示板では、最終回に対してよりストレートで辛辣な批判的意見が目立ちました。
匿名性の高いコミュニティでは、建前や配慮を抜きにした本音が語られやすく、作品への不満点がダイレクトに表現される傾向にあります。
なんJのスレッドでは、主に以下のような点が議論の的となりました。
- ラスボスへの不満
「透龍はラスボスとしてのカリスマ性がなさすぎる」「スタンド能力は最強クラスだけど、本人が小物っぽい」といった意見が多数を占めました。
歴代ジョジョの圧倒的な存在感を放つラスボス達と比較され、物足りなさを感じるという声が根強いようです。 - 風呂敷を広げすぎ問題
「結局、壁の目って何だったんだよ」「伏線投げっぱなし多すぎだろ」など、物語の根幹に関わる謎が解明されないまま完結したことへのツッコミが殺到しました。
10年という長い連載期間で膨らんだ読者の期待に対し、説明不足な点が多かったことが批判に繋がっています。 - 決着方法への疑問
最終局面で発現した定助の新能力「ゴー・ビヨンド」に対しても、「唐突すぎる」「ご都合主義じゃないか」といった厳しい意見が見られました。
最強の敵を倒すためのロジックは理解できても、そこに至るまでのドラマや盛り上がりに欠けると感じた読者が多かったようです。
もちろん、これらの意見は一部の過激な声である側面もあります。
中には「考察のしがいがある終わり方で好き」「この理不尽さがジョジョらしい」と評価する声も存在しました。
しかし、こうした匿名掲示板でのストレートな反応は、多くの読者が最終回に感じた「割り切れなさ」や「消化不良感」を、最も純粋な形で反映していると言えるのかもしれません。
透龍は?ジョジョリオンラスボス戦の評価
結論から言うと、『ジョジョリオン』のラスボスである透龍(とおる)と、彼のスタンド「ワンダー・オブ・U」との最終決戦は、ジョジョシリーズの中でも特に異質であり、その評価は真っ二つに分かれています。
評価が分かれる最大の理由は、この戦いが従来の「キャラクター同士のバトル」ではなく、「概念との戦い」という側面を強く持っていたからです。
ラスボス戦が批判される理由
多くの読者がラスボス戦に物足りなさを感じたのは、主に以下の3つの点に集約されます。
- 透龍のキャラクター性
ディオや吉良吉影(4部)、ディアボロといった歴代ラスボスが放っていたような、圧倒的なカリスマ性や哲学が透龍には希薄に見えました。
彼の目的はあくまで「ロカカカの確保」であり、世界を支配するような壮大な野望もありません。
この「等身大の悪役」感が、ラスボスとしての格を下げていると感じられたようです。 - ワンダー・オブ・Uの能力
「自分を追跡・攻撃しようとする意思を持つ者に、必ず『厄災』をもたらす」という能力は、ほとんど無敵です。
これにより、定助たちは直接的な攻撃ができず、ジリジリと追い詰められる展開が続きました。
この一方的な展開が、「バトルとしての面白みに欠ける」という評価に繋がりました。 - カタルシスの欠如
決着をつけた「ゴー・ビヨンド」は、「この世に存在しない回転」であり、ワンダー・オブ・Uの「この世の理」が及ばない、というものでした。
ロジックとしては非常に美しいものの、読者としては「オラオラ」のような力強い決着を期待していた面もあり、「あっけない」「理屈っぽくて盛り上がらない」と感じた人も少なくありませんでした。
ラスボス戦を評価する声
一方で、この最終決戦を高く評価する声も存在します。
その根拠は、「真のラスボスは透龍ではなく、『厄災』という概念そのものだった」という解釈です。
- 透龍は「厄災」の代理人
この解釈に立てば、透龍のキャラクター性が希薄なのは当然です。
彼はあくまで、この世に存在する「理不尽」や「不条理」(=厄災)を擬人化した存在に過ぎません。
荒木先生が描きたかったのは、特定の悪役との戦いではなく、「人生で避けては通れない理不尽な災いと、どう向き合うか」という、より普遍的なテーマだったのではないでしょうか。 - 概念との戦いを描いた秀逸さ
「この世の理」という厄災に対し、「この世に存在しないもの」でしか対抗できない、という構図は非常に哲学的です。
物理法則や因果律を超えた戦いを描いたことで、ジョジョのバトル表現は新たなステージに到達した、と評価する声もあります。
このように、透龍との戦いは、単純な善悪のバトルとして見るか、より抽象的な概念との戦いとして見るかで、その評価が大きく変わってくるのです。
打ち切り説とジョジョリオン最終回の関係
結論として、『ジョジョリオン』に公式な打ち切りや連載終了の発表があったわけではありません。
しかし、ファンの間で「打ち切りだったのでは?」という説が根強く囁かれているのには、最終盤の展開にいくつかの理由があります。
この説が浮上した背景には、10年という長期連載で広げられた物語の風呂敷が、最終的にすべては畳まれなかった、という読者の印象が大きく影響しています。
具体的には、以下の点が「打ち切り説」の根拠として挙げられることが多いです。
- 伏線の大量未回収
後のセクションで詳しく解説しますが、「壁の目」の正体や「ギャッピー」の意味など、物語の根幹に関わると思われる多くの謎が、最後まで明かされることはありませんでした。
これらの謎が放置されたことが、「物語を畳む時間が足りなかったのではないか」という憶測を呼びました。 - 終盤の駆け足展開
特に、東方花都の扱いはその象徴と言えます。
彼女は物語の重要人物として長年言及されながら、ようやく登場したと思ったら、あっという間にラスボス戦に巻き込まれて命を落としてしまいます。
この唐突な展開に、「キャラクターを掘り下げる余裕なく、退場させるしかなかったのでは?」と感じた読者が多くいました。 - ラスボス戦の短さ
前述の通り、ラスボスである透龍の登場から決着までが、比較的短い期間で描かれました。
歴代シリーズのラスボス戦が、数巻にわたって濃密な攻防を繰り広げてきたことと比べると、あっさりしている印象は否めません。
これもまた、「連載の都合で戦闘を短くまとめたのではないか」という見方に繋がりました。
打ち切り説への反論
もちろん、これらの点をもって「打ち切り」と断定することはできません。
むしろ、以下のような反論も成り立ちます。
- 10年という十分な連載期間
そもそも10年間も一つの部を連載できたこと自体が、作品が人気を博していた証拠です。
編集部から強制的に終了させられた可能性は低いと考えられます。 - 作者の意図
荒木飛呂彦先生は、読者の解釈に委ねる作風で知られています。
あえて全ての謎を明かさず、物語に「余白」を残すこと自体が、作者の意図だった可能性も十分にあります。
描きたかった「呪いを解き、自分の正体を見つける」というテーマは、しっかりと描き切ったという見方もできます。
いずれにしても、「打ち切り説」はあくまでファンの推測の域を出ません。
しかし、そうした説が生まれるほどに、『ジョジョリオン』の結末が多くの読者にとって衝撃的で、説明を求めたくなるものだったことの証明と言えるでしょう。
ジョジョリオン最終回の伏線未回収まとめ
結論として、『ジョジョリオン』はジョジョシリーズの中でも特に多くの謎や伏線を残したまま完結した作品と言えます。
これらの未回収の伏線が、物語の評価を複雑にし、「ひどい」「消化不良だ」と感じる一因となっています。
ここでは、特に重要だと思われる未回収の伏線を、その概要と共に表形式でまとめてみました。
未回収の伏線・謎 | 概要と残された疑問 |
---|---|
壁の目の正体 | 物や人を融合させる不思議な現象を引き起こす土地。物語の始まりの場所でありながら、なぜそのような力を持つのか、自然現象なのか、誰かのスタンド能力なのか、その正体は最後まで明かされませんでした。東方家の土地と深く関わっていることだけが示唆されています。 |
空条仗世文のその後 | 主人公・定助の「半身」である空条仗世文。彼の記憶や意識は、最終的にどうなったのでしょうか。定助の中で完全に統合されたのか、それとも消滅してしまったのか。吉良吉影と共に定助を構成する重要な存在でしたが、彼の物語の結末は描かれていません。 |
「ギャッピー」の意味 | 定助が最初に発見された際に口にした謎の言葉「ギャッピー」。物語の重要なキーワードかと思われましたが、結局何の意味も持たないまま終わりました。定助の失われた記憶に関わる何かだったのか、単なる音だったのか、今となっては謎のままです。 |
フラッシュバックの男 | 定助が記憶の中で見た、仗世文と吉良を交互に殴りつける謎の男。この男が誰で、何のために二人を殴っていたのかは一切不明です。物語の展開には直接絡んできませんでしたが、読者に強烈な印象を残しました。 |
岩人間の生態系の全貌 | 透龍を始めとする「岩人間」。彼らがどこから来て、何を目的とし、どのような社会を形成しているのか、その全体像は謎に包まれています。人間社会に溶け込み、ロカカカを求める理由など、多くの疑問が残されました。 |
ロカカカの起源 | 「等価交換」の力を持つ奇跡の果実、ロカカカ。南国の島で発見されたとされていますが、なぜそのような都合の良い果実が存在するのか、その起源や本来の目的は明かされていません。 |
これらの謎は、物語の核心に迫るものも多く含まれています。
全てが明かされないことによって、物語に深みや考察の余地が生まれているという見方もできます。
しかし一方で、物語への没入感が高いファンほど、これらの謎が解明されなかったことへの不満や寂しさを感じてしまうのも、無理はないことでしょう。
ジョジョリオン最終回の謎と「ひどい」評価を超える考察
ジョジョリオン最終回で明かされなかった謎
前述の「伏線未回収まとめ」で挙げた個別の謎の他に、『ジョジョリオン』には物語の根幹を揺るがす、より大きな構造的な謎が残されています。
これらの謎は、単なる「説明不足」というよりは、作者が意図的に読者の解釈に委ねた部分とも考えられ、作品のテーマ性を理解する上で非常に重要です。
東方家の「呪い」の正体とは
物語の大きなテーマであった東方家の「呪い」。
これは、長男が幼少期に「石化」していく奇病として描かれました。
作中では、過去の先祖が「知恵の実」を食べたことが原因と示唆されますが、そのメカニズムは曖昧なままです。
- 呪いと等価交換の関係
この呪いは、「何かを得るためには、何かを失わなければならない」という「等価交換」の法則と深く結びついています。
東方家は土地に根ざしたフルーツ栽培で富を得てきましたが、その代償として「呪い」という名の厄災を引き受けていたのかもしれません。
長男を異性の服装で育てるという「厄(やく)」払いの風習も、一種の等価交換と言えます。 - 呪いは解かれたのか?
最終的に、ラスボスを倒したことで呪いの直接的な原因は取り除かれたように見えます。
しかし、ホリーさんが完治しなかったように、「一度起きたこと」は完全には元に戻らない、という厳しさも描かれました。
物語は、呪いが完全に消え去るのではなく、残された者たちがその傷跡と共にどう生きていくか、というフェーズに移行したと解釈できます。
「祝福」とは何だったのか
物語の冒頭で、吉良吉影は「これは『呪い』を解く物語」だと言いました。
そして、その言葉は「『呪い』を解いた時 それは『祝福』へと変わる」と続きます。
では、この物語における「祝福」とは、一体何だったのでしょうか。
- 定助の存在そのもの
一つの答えは、主人公・東方定助の存在そのものです。
彼は、吉良吉影と空条仗世文という二人の人間が、壁の目の力(呪い)によって融合して生まれた存在です。
呪いから生まれた彼が、最終的に杜王町と東方家を救う「祝福」の存在となった、という見方ができます。 - 家族の再生
もう一つの「祝福」は、多くの犠牲を払いながらも、再び絆を取り戻した東方家の姿です。
ラストシーンで、彼らがフルーツパーラーでケーキを囲む姿は、呪いを乗り越えた先にある、ささやかながらも確かな「祝福」の形を象徴していると言えるでしょう。
これらの大きな謎は、明確な答えが提示されないからこそ、私たち読者に「自分にとっての呪いとは何か、祝福とは何か」を問いかけてくる、深い奥行きを持っているのです。
結局ジョジョリオンのホリーはどうなった?
結論として、多くの読者が救済を願ったホリー・ジョースター吉良の病は、最後まで完治することはありませんでした。
この結末は、『ジョジョリオン』が「ひどい」と言われる最大の要因であり、物語にビターな後味を残すことになりました。
なぜ、物語の中心的な目的であったはずの「ホリーさんを救うこと」が達成されなかったのでしょうか。
その理由は、作中で貫かれた「等価交換」という非情なルールにあります。
なぜホリーは完治しなかったのか
- 新ロカカカの量が不足していた
ラスボス・透龍との戦いの末に、定助たちが入手できた「新ロカカカ」の枝は一本だけでした。
ホリーさんの病は脳の一部が失われるという非常に重いものであり、それを完治させるには、手に入れた新ロカカカの量では絶対的に足りなかったのです。 - 康穂を救うための「等価交換」
最終決戦で、定助の協力者である広瀬康穂は瀕死の重傷を負います。
定助は、その貴重な新ロカカカを使い、康穂の命を救うことを選択しました。
これは、ホリーさんを救うという目的を(一部)犠牲にして、康穂の命を救うという、まさに「等価交換」でした。 - 過去ではなく「今」を選んだ定助の決断
この定助の選択は、彼の成長と物語のテーマを象徴しています。
ホリーさんは、彼の半身である「吉良吉影」にとっての母親であり、言わば「過去」の象徴です。
一方、康穂は、彼が「東方定助」として出会い、絆を育んできた「現在」そして「未来」の象徴と言えます。
定助が康穂を選んだことは、彼が失われた過去に固執するのではなく、今を生きる人間として未来へ進むことを決意した証なのです。
この結末が意味するもの
ホリーさんが救われないという結末は、一見するとバッドエンドのように思えます。
しかし、ここには「人生は思い通りにいかない」「全てを手に入れることはできない」という、現実世界の厳しくも普遍的な真理が描かれています。
願いが叶えられない理不尽さや、何かを得るための痛みを伴う選択。
そうした喪失感と共に、それでも生きていかなければならないというメッセージが、このビターな結末には込められているのです。
読者が期待したご都合主義的なハッピーエンドをあえて描かなかったことこそが、『ジョジョリオン』を単なるエンターテイメントに終わらせない、深い余韻を持つ作品たらしめているのかもしれません。
ジョジョリオンのラストで描かれたケーキの意味
結論として、『ジョジョリオン』のラストシーンで東方家が囲んでいたフルーツケーキは、多くの犠牲と混乱の果てに訪れた「家族の再生」と「ささやかな祝福」を象徴しています。
この何気ない日常のワンシーンにこそ、作者が物語を通して伝えたかったメッセージが凝縮されているのです。
一見すると唐突にも思えるこのシーンですが、その意味を紐解くと、物語全体のテーマが見えてきます。
フルーツパーラーという場所の意味
まず、彼らが集まっている場所が、東方家が経営する「フルーツパーラー」である点に注目すべきです。
- 東方家のアイデンティティ
東方フルーツパーラーは、彼らの家業であり、生活の基盤であり、一族の歴史そのものです。
物語の発端となった「呪い」も、この土地とフルーツに深く関わっていました。
その因縁の場所で、物語の終わりを締めくくることには大きな意味があります。 - 日常への回帰
ラスボスとの壮絶な非日常の戦いを終え、彼らが「日常」へと戻ってきたことを示す場所でもあります。
戦いの記憶や傷跡は消えませんが、それでも生活は続いていく。
その穏やかな時間の流れを象徴しています。
フルーツケーキが象徴するもの
そして、テーブルの中央に置かれた色とりどりのフルーツケーキ。
これは、まさに『ジョジョリオン』という物語そのものを象徴していると考えられます。
- 家族の再生と調和
ケーキを囲んでいるのは、憲助、鳩、常秀、つるぎ、そして定助と康穂です。
常敏や花都を失い、一度はバラバラになりかけた家族が、再び一つのテーブルを囲んでいる。
定助が「東方定助」として、当たり前のようにその輪の中にいることが、彼が家族の一員として完全に受け入れられたことを示しています。
これは、多くの犠牲(等価交換)の末に手に入れた、新しい家族の形(祝福)なのです。 - 未来への希望
ケーキは、お祝いの席で食べられるものです。
このシーンは、失ったものを悼むだけでなく、これからの未来を祝うという意味合いも持っています。
「呪い」の物語は終わりましたが、彼らの人生という「物語」はこれからも続いていく。
その未来が、甘く豊かなものであるようにという、ささやかな希望がこのケーキには込められています。
ラストシーンのセリフは一切ありません。
しかし、この静かな情景こそが、10年にわたる「呪いを解く物語」の、最も雄弁な結末と言えるでしょう。
ジョジョリオンのラストに関する深い考察
結論として、『ジョジョリオン』のラストは、第7部『スティール・ボール・ラン』(SBR)から続く、「聖なる遺体」を巡る物語の、もう一つの側面を描いたものとして考察することができます。
SBRが「プラスの奇跡」を描いた物語だとすれば、ジョジョリオンは「マイナスの奇跡」と、それをいかに乗り越えるかを描いた物語なのです。
この二つの作品を対比させることで、ラストの持つ意味がより深く理解できます。
SBRの「聖なる遺体」とジョジョリオンの「ロカカカ」
- SBRの聖なる遺体
SBRで登場した「聖なる遺体」は、集めることで持ち主に幸運や奇跡的な力をもたらす、「プラス」のエネルギーの象徴でした。
遺体は、人々に「祝福」を与え、時には死者さえ蘇らせるほどの絶対的な善の力として描かれます。 - ジョジョリオンのロカカカ
一方、ジョジョリオンでキーアイテムとなった「ロカカカ」の果実は、「等価交換」の原則に基づいています。
何かを治癒するためには、必ず別の何かを犠牲にしなければならない。
これは、SBRの遺体とは正反対の、「マイナス」のエネルギーを伴う奇跡です。
手放しでは喜べない、代償を伴う不完全な救済。
これが、ジョジョリオンの世界を貫く基本ルールでした。
「厄災」と「ゴー・ビヨンド」の正体
この「マイナスの奇跡」の世界観を象徴するのが、ラスボスであるワンダー・オブ・Uの能力「厄災」です。
- 厄災=この世の理(ことわり)
ワンダー・オブ・Uが自動的にもたらす「厄災」は、もはやスタンド能力というより、この世界の物理法則や因果律そのものです。
「悪いことをしようとすれば、必ず報いを受ける」という、誰も逆らえない「理(ことわり)」。
透龍は、この理を自分の都合の良いように利用していたに過ぎません。 - ゴー・ビヨンド=この世に存在しない回転
この絶対的な「理」を打ち破ったのが、定助のソフト&ウェットが進化した「ゴー・ビヨンド」でした。
その正体は、「無限に薄い回転をする線」、すなわち、この世の物理法則に干渉されない「ゼロ」のエネルギーです。
「この世の理」によって引き起こされる厄災は、「この世に存在しないもの」でしか攻撃できない。
この構図は、非常に哲学的であり、ジョースターの血統に宿る「黄金の精神」が、ついに世界の因果律すら超える「奇跡」を手に入れた瞬間として解釈できます。
つまり、『ジョジョリオン』のラストは、SBRから始まった「運命」や「引力」との戦いが、ついに世界の法則そのものを書き換える領域にまで達したことを示す、壮大な物語の到達点だったと言えるのです。
結局ジョジョリオンとは何だったのかという疑問
結論として、『ジョジョリオン』とは、徹頭徹尾「自分は何者なのかを探し、人生を縛る『呪い』から自らを解放する物語」であったと言えます。
この根源的な問いに対する答えを、主人公・東方定助の10年にわたる旅路そのものが示しています。
多くの謎や消化不良感を指摘される本作ですが、この中心的なテーマは一度もブレることなく、見事に描き切られました。
「自分探し」の物語
物語は、記憶を失った主人公が「東方定助」と名付けられるところから始まります。
彼の行動原理は、常に「自分は何者なのか?」という問いにありました。
- 失われた過去の探求
物語の前半、定助は自分の正体が「吉良吉影」と「空条仗世文」という二人の人間の融合体であることを知ります。
彼は、失われた過去の記憶を取り戻そうと奮闘しますが、それは叶いませんでした。 - 新しいアイデンティティの確立
しかし、物語が進むにつれて、彼は過去に固執することをやめます。
広瀬康穂や東方家の人々との関わりの中で、「過去の誰か」としてではなく、「東方定助」という一人の人間としての新しいアイデンティティを確立していくのです。
ラストシーンで彼が東方家の一員として迎え入れられている姿は、彼の「自分探しの旅」が、過去を取り戻すのではなく、新しい自分を創造することで終わりを迎えたことを象徴しています。
「呪いを解く」物語
そして、もう一つの大きなテーマが「呪いを解く」ことです。
- 物理的な呪いと精神的な呪い
作中には、東方家の「石化の病」という物理的な呪いが存在します。
しかし、物語が描いたのはそれだけではありません。
登場人物たちは、過去の罪悪感、家族との確執、拭えないコンプレックスといった、目には見えない様々な「精神的な呪い」に縛られています。 - 解放と祝福
定助がラスボスを倒したことは、東方家を物理的な呪いから解放しました。
しかしそれ以上に、彼の存在と行動が、登場人物たちを精神的な呪いから解き放つきっかけとなったことの方が重要です。
憲助は家長の重圧から、常秀はコンプレックスから、そして定助自身も何者でもないという不安から解放されました。
「呪い」から解放された先にある、穏やかな日常こそが、この物語における最大の「祝福」なのです。
つまり『ジョジョリオン』とは、記憶喪失の青年が、多くの人々との関わりの中で自らの存在価値を見出し、過去の因縁という「呪い」を乗り越えて未来への一歩を踏み出す、再生と希望の物語だった、と言えるでしょう。
まとめ:ジョジョリオン最終回がひどいという評価と深い魅力
- 『ジョジョリオン』の最終回は「ひどい」という声と「素晴らしい」という声が混在する賛否両論の結末である
- 「ひどい」と言われる主な理由は、ホリーを救えなかった後味の悪さ、東方家の犠牲の多さ、多くの伏線未回収にある
- なんJなどでは、ラスボス・透龍の小物感や決着のあっけなさが辛辣に批判された
- 伏線未回収の多さや終盤の展開から「打ち切り説」も囁かれたが、公式な情報はない
- 「壁の目」や「岩人間」の正体など、物語の根幹に関わる多くの謎が残された
- ホリーが完治しなかったのは、「等価交換」という物語の非情なルールを象徴している
- ラストのケーキのシーンは、多くの犠牲の末に手に入れた「家族の再生」と「祝福」の象徴である
- 真のラスボスは「厄災」という概念であり、「ゴー・ビヨンド」は世界の理を超えた奇跡の力だと考察できる
- この物語は、主人公・定助が「何者か」を探し、人生の「呪い」から解放されるまでを描いた物語だった
- 単純なハッピーエンドではないが、そのビターな結末が作品に深い余韻と考察の余地を与えている
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