『HUNTER×HUNTER』キメラアント編の王、メルエム。
圧倒的な力とカリスマで読者に絶望を与えた彼は、果たして本当に「いいやつ」だったのでしょうか。
物語の序盤では、人間を食糧としか見なさない残虐な王として描かれました。
しかし、盲目の少女コムギとの出会いが、彼の運命を大きく変えていきます。
この記事では、メルエムが「いいやつ」と言われる理由を、コムギとの純愛にも似た関係性や、彼の悲劇的な最期、そして人間性の発露といった観点から徹底的に考察していきます。
メルエムが示した優しさの根源や、彼が誰かの生まれ変わりだったのかという説にも触れながら、その魅力の核心に迫ります。
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なぜメルエムはいいやつと言われるのか?コムギとの出会い
コムギと出会って変わったメルエムの言動
メルエムが「いいやつ」と評価される最大の理由は、軍儀の天才少女コムギと出会い、その言動が劇的に変化した点にあります。
当初、メルエムは自らを種の頂点に立つ王と自負し、人間を食糧、あるいは暇つぶしの玩具としか見ていませんでした。
事実、東ゴルトー共和国に君臨してからは、各界の達人たちを盤上競技で打ち負かし、敗者を容赦なく殺害しています。
彼の世界は力と恐怖による支配で成り立っており、そこに慈悲や情といった感情が入り込む余地はなかったのです。
しかし、コムギだけは違いました。
どれだけ対局を重ねても、メルエムは軍儀でコムギに勝つことができません。
初めて経験する「敗北」は、彼のプライドを刺激すると同時に、未知の感情を芽生えさせます。
負ければ死ぬと覚悟しながらも、盤面では一切の妥協を許さないコムギの純粋な強さに、メルエムは次第に興味を超えた特別な感情を抱き始めます。
例えば、コムギを殺そうと決意したにもかかわらず、彼女を襲った鳥を無意識に殺して助けてしまう場面があります。
その後の自身の動揺は、メルエム自身にも理解できないものでした。
これは、彼の心の奥底で、効率や論理では説明できない「人間的な感情」が生まれ始めていたことを示す象徴的なシーンです。
このように、絶対的な王であったメルエムが、一人の少女の前でだけ見せた戸惑いや一貫性のない行動こそ、彼の人間性が開花していく第一歩であり、「いいやつ」としての側面が顔を出し始めた瞬間だったと言えるでしょう。
メルエムが見せた意外で優しい一面
メルエムの優しさは、コムギと関わる中で、具体的かつ衝動的な行動として現れ始めます。
それらは王としての威厳や合理性とはかけ離れた、人間味あふれる行動でした。
彼の優しい一面が明確に示されたのは、コムgとの対局中に、メルエムが彼女の癖(呼吸を止める)を指摘し、それを直さなければ左腕を折ると宣言した場面です。
これは一見すると脅しのように聞こえますが、その真意は全く異なります。
軍儀に負ければ死ぬ覚悟のコムギに対し、メルエムは「勝負に負けたら命以外の何か(左腕)を賭ける」という選択肢を提示しました。
これは、コムギに「死」以外の道を示し、彼女を生かそうとするメルエムなりの不器用な優しさだったのです。
しかし、その直後にゼノ=ゾルディックの「龍星群(ドラゴンダイヴ)」が宮殿を襲撃し、コムギは瀕死の重傷を負ってしまいます。
メルエムは傷ついたコムギを抱きかかえ、彼女の治療を最優先させます。
この時の彼の姿は、もはやキメラアントの王ではありません。
ただひたすらに、大切な存在を案じる一人の個人の姿でした。
特に注目すべきは、コムギを治療するネフェルピトーに対し、心からの感謝を伝えた点です。
「感謝する」という言葉は、それまでのメルエムの辞書には存在しなかったはずです。
部下の働きを認めることはあっても、他者に感謝の念を抱くという人間的な感情は、コムギという存在が彼にもたらした最大の贈り物の一つだったと言えます。
これらの行動は、メルエムが冷徹な支配者から、思いやりと優しさを持つ存在へと変貌を遂げたことを明確に示しています。
メルエムとコムギの関係は恋愛だった?
メルエムとコムギの間にあった感情が「恋愛」だったのかどうかは、ファンの間でも意見が分かれる興味深いテーマです。
作中で二人が恋愛関係にあると明言されたわけではありません。
しかし、その行動や心理描写の端々には、恋愛感情と解釈できる要素が数多く散りばめられています。
一つの根拠として、メルエムがコムギに対して抱いた独占欲や庇護欲が挙げられます。
前述の通り、鳥に襲われたコムギを衝動的に守った場面や、彼女が傷つけられた際に激しい怒りと動揺を見せた姿は、単なる興味の対象へ向ける感情とは一線を画します。
また、シャウアプフがコムギを殺害しようとした際には、それを鋭く察知し、「次に余に隠し事をすれば殺す」と強い警告を発しました。
これは、コムギという存在が、王である自分にとって唯一無二の特別な存在であることを護衛軍に知らしめる行為であり、強い執着心の表れと見て取れます。
一方で、メルエム自身は、その感情が何なのかを最後まで理解していなかった可能性が高いです。
彼は生まれてから日が浅く、種としての王の役割を全うすることしか知りませんでした。
そのため、コムギに対して抱いた温かくもどかしい感情を「恋愛」という言葉で定義することはできなかったでしょう。
それは、人間で言えば、生まれて初めて恋をした少年が、自分の気持ちを持て余している状態に近かったのかもしれません。
結論として、彼らの関係を単純な「恋愛」という言葉で片付けることは難しいかもしれません。
しかし、そこには間違いなく、異性に対する特別な愛情や、守りたいという強い想いが存在していました。
恋愛の定義は人それぞれですが、メルエムがコムギに抱いた感情が、人間が「恋」と呼ぶ感情の核心に非常に近いものであったことは確かです。
二人の絆はメルエムとコムギの純愛
メルエムとコムギの関係を「恋愛」という枠で捉えるのが難しいとしても、二人の間にあった絆が「純愛」であったことに異論を唱える人は少ないでしょう。
彼らの関係は、種族、地位、価値観、そして生死さえも超越した、魂レベルでの結びつきでした。
「純愛」とは、見返りを求めない、ひたむきで純粋な愛情を指します。
メルエムは当初、コムギを軍儀で打ち負かす対象としか見ていませんでした。
しかし、対局を重ねるうちに、彼女の才能や軍儀に対する姿勢そのものに深い敬意を抱くようになります。
彼はコムギという存在に、暴力や支配とは異なる「本当の強さ」を見出したのです。
一方のコムギも、メルエムをただ恐ろしい王として見ていたわけではありません。
目が見えない彼女にとって、メルエムは自分の軍儀を真剣に受け止め、評価してくれた初めての存在でした。
彼女はメルエムの声や気配から、その孤独や苦悩を感じ取っていたのかもしれません。
だからこそ、メルエムが瀕死の毒に侵されていると知っても、彼から離れるという選択肢を選びませんでした。
この関係性の純粋さは、彼らの最期に凝縮されています。
自分の毒がコムギに伝染し、彼女も死に至ることを告げた上で、メルエムは「最期を共に過ごしてはくれぬか」と願います。
それに対し、コムギは「はい、喜んで」と即答し、「ワダすは、この日のために生まれてきたのだと思います」とまで言い切りました。
そこには、恐怖や打算は一切存在しません。
ただ、愛する人のそばで、同じ時間を分かち合いたいという純粋な願いだけがありました。
メルエムとコムギの絆は、お互いがお互いを唯一無二の存在として認め合い、相手の幸せを心から願う「純愛」そのものだったと言えるでしょう。
ネテロが遺した「人として生きるがよい」
ハンター協会会長アイザック=ネテロとの死闘は、メルエムの価値観を根底から揺るがす大きな出来事でした。
この戦いの中で発せられた言葉は、直接的ではないにせよ、メルエムの人間性の探求に大きな影響を与えたと考えられます。
ネテロとの戦いの前、メルエムは人間を支配し、選別する絶対的な王でした。
しかし、ネテロとの対話を通じて、彼は人間の持つ「悪意の無尽蔵の進化」や、個としての強さの多様性に直面します。
ネテロはメルエムとの圧倒的な力の差を認めながらも、ハンターとしての、そして一人の人間としての誇りをかけて戦いを挑みました。
その姿は、メルエムにとって理解しがたいものでありながらも、強い印象を残したはずです。
ネテロが敗北を悟り、最後の手段である「貧者の薔薇(ミニチュアローズ)」を起爆させる直前、彼はメルエムに問いかけます。
自分の名前を知っているかと。
この問いは、メルエムが種としての「王」ではなく、一つの「個」として何者なのかを問う、哲学的な問いかけでした。
メルエムはこの時、自分の名前を知りませんでした。
この戦いの後、記憶を失ったメルエムがウェルフィンの言葉でコムギの記憶を取り戻した際、彼はウェルフィンに対して「逢えるといいな、その者と。そして可能なら人間として生きるが良い」という言葉を残します。
これは、かつて人間を家畜と見ていたメルエムからは想像もできない言葉です。
ネテロとの戦いで人間の底知れぬ可能性と向き合い、そしてコムギという唯一無二の個と出会ったことで、メルエムの中で「種」や「王」という概念が揺らぎ、「個」として、あるいは「人間」として生きることの意味を無意識に探し始めていたのではないでしょうか。
ネテロの問いかけと生き様は、メルエムが最終的に「余はコムギと共にいるために生まれてきた」という個としての答えにたどり着くための、重要な道標の一つとなったのです。
メルエムがいいやつだからこそ感じる悲劇と人間性
メルエムの元の人間についての説
メルエムがこれほどまでに人間的な感情を獲得した理由として、「元の人間」は誰だったのかという疑問が浮かびます。
キメラアントは、女王が食べた生物の遺伝情報を元に生まれる「摂食交配」という特性を持っています。
王直属の護衛軍であるネフェルピトー、シャウアプフ、モントゥユピーが、それぞれ特定の人間や魔獣の特徴を色濃く受け継いでいたことから、王であるメルエムにも「元の人間」がいたのではないかと考えるのは自然な流れです。
しかし、作中でメルエムの「元の人間」が特定されることはありませんでした。
これにはいくつかの理由が考えられます。
一つは、メルエムが特定の一個人の生まれ変わりではない、という説です。
女王は王を産むために、他のキメラアントとは比較にならないほど膨大な数の人間や生物を捕食しました。
そのためメルエムは、特定の誰かではなく、食べた数多の生命の遺伝情報が凝縮・再構築された、全く新しい生命体である可能性が高いです.
彼の持つ圧倒的な知性や潜在能力は、様々な分野の天才たちの遺伝情報を受け継いだ結果かもしれません。
もう一つの解釈として、作者が意図的に「元の人間」を特定しなかった可能性が考えられます。
もし特定の人間が元になっていた場合、メルエムの人間性の獲得は「元の記憶や人格が蘇った」と解釈されがちです。
しかし、作者は、何者でもなかったメルエムが、コムギという他者との関係性の中で、ゼロから人間性を学び、獲得していく過程そのものを描きたかったのではないでしょうか。
彼の成長物語は、生まれや血筋ではなく、経験や絆こそが「その人」を形作るという、普遍的なテーマを内包しています。
結論として、メルエムに特定の「元の人間」がいた可能性は低く、むしろ彼は数多の生命の集合体であり、その上でコムギとの出会いによって独自の人間性を育んだ、唯一無二の存在だったと考えるのが最も自然な解釈と言えるでしょう。
メルエムは誰かの生まれ変わりなのか?
メルエムの出自について、さらに踏み込んだ考察として「彼は誰かの生まれ変わりなのではないか」という説が存在します。
特に有力なのが、メルエムが「イエス・キリスト」をモデルにしている、あるいはその生まれ変わりとして描かれているという説です。
この説には、作中の描写とキリストの逸話との間に、いくつかの興味深い共通点が見られます。
共通点 | メルエムの描写 | イエス・キリストの逸話 |
誕生 | キメラアントの女王という処女(人間の男性と交わっていない)から単為生殖で誕生した。 | 聖母マリアが処女のまま聖霊によって身ごもったとされる「処女懐胎」。 |
名前の意味 | 護衛軍のシャウアプフが名付けようとした際、女王が「メルエム」という名を授けた。メルエムという名前は、アラビア語で「すべてを照らす光」という意味を持つ。 | イエス・キリストは「世の光」と称され、人々を導く存在とされる。 |
復活 | ネテロの「貧者の薔薇」により瀕死の状態になるが、シャウアプフとモントゥユピーが自らの身を捧げることで、以前よりも強大な力を得て「復活」する。 | 十字架にかけられ死んだ後、3日目に復活したとされる。 |
贖罪と愛 | 当初は人類を支配し粛清しようとしたが、最終的にはコムギという一人の人間への愛に目覚め、彼女と共に死ぬことを選ぶ。 | 全人類の罪を背負い、自己犠牲の愛(アガペー)を示したとされる。 |
最期の姿 | 最期はコムギの膝の上で安らかに息を引き取る。この構図は、十字架から降ろされたキリストを聖母マリアが抱く「ピエタ」の構図に似ている。 | ピエタは、キリストの死と聖母マリアの悲しみを象徴する有名な宗教画のテーマ。 |
これらの類似点から、メルエムの物語は、単なる善悪の二元論では語れない、神話的・宗教的なテーマを内包していると解釈できます。
もちろん、これはあくまで一つの考察であり、作者が公言したものではありません。
しかし、一個の生命が「王」として生まれ、人類を裁こうとしながらも、最終的には自己犠牲的な「愛」に目覚めていくという物語は、キリストの生涯と重なる部分が多く、メルエムというキャラクターの奥深さをより一層際立たせています。
彼が誰かの「生まれ変わり」だったと断定はできませんが、そのキャラクター造形に神話的なモチーフが取り入れられている可能性は非常に高いと言えるでしょう。
王の宿命を背負ったメルエムはかわいそう
メルエムの物語を振り返ると、彼の圧倒的な強さやカリスマ性の裏に、深い孤独と悲劇性が潜んでいることに気づかされます。
その生涯は、読者に「かわいそう」と感じさせる要素に満ちています。
最大の悲劇は、彼が「王」として生まれてきたという宿命そのものです。
メルエムは、自分の意思とは関係なく、種の頂点に立ち、全生物を統べるという目的を背負わされて誕生しました。
彼にとって、他者は支配する対象か、食糧でしかありませんでした。
対等な立場で心を通わせる存在がおらず、その絶対的な強さゆえに、誰にも理解されない深い孤独を抱えていたのです。
その孤独を唯一埋めてくれたのが、コムギの存在でした。
しかし、愛を知ってしまったこと自体が、彼の次なる悲劇の始まりとなります。
人間的な感情、特にコムギへの愛情が芽生えたことで、彼は「王」としての冷徹な使命と、「個」としての純粋な願いの間で激しく葛藤することになります。
もし彼が冷酷な王のままであれば、ネテロに勝利した後、何のためらいもなく世界を支配していたでしょう。
そこに苦悩はなかったはずです。
しかし、人間性を獲得してしまったがゆえに、彼は悩み、苦しみます。
そして、ようやく見つけた「コムギと共にいたい」というたった一つの願いも、貧者の薔薇の毒によって無残に断ち切られてしまいます。
生まれてから死ぬまで、わずか数ヶ月。
その短い生涯の中で、彼は王としての孤独を生き、愛を知る喜びと苦悩を経験し、そして愛する人と共に死んでいく運命を辿りました。
圧倒的な力を持っていながら、最も人間的な幸福を掴むことは許されなかった。
そう考えると、メルエムは『HUNTER×HUNTER』という作品の中でも、屈指の悲劇的なキャラクターであり、「かわいそう」という感情を抱かずにはいられない存在です。
メルエムの最期に見る本当の人間性
メルエムの物語のクライマックスであり、彼の人間性が最も純粋な形で現れたのが、コムギと共に過ごした最期の時間です。
貧者の薔薇の毒に侵され、視力を失い、死を目前にしたメルエムは、もはやキメラアントの王ではありませんでした。
彼が最期に求めたのは、世界の支配でも、種の繁栄でもなく、ただ愛するコムギと軍儀を指しながら、穏やかに過ごす時間でした。
彼はコムギに、自分の毒が伝染することを正直に告げます。
これは、最後の最後で、相手を自分の都合に巻き込むのではなく、一人の対等な個人として尊重し、選択を委ねるという、彼の人間的成長の証です。
コムギが「すぐ、いきますから」と彼の死に寄り添うことを選んだ時、メルエムの心は満たされたことでしょう。
視力を失ったメルエムが、コムギの顔を優しく手で触れ、その輪郭を確かめるシーンは、多くの読者の涙を誘いました。
目が見えなくても、彼は心の目でコムギの全てを理解し、感じ取っていたのです。
そして、彼はこう言います。
「余は、この瞬間のために生まれて来たのだ…!!」
この言葉は、彼の短い生涯が、決して無意味ではなかったことの証明です。
王としての宿命も、ネテロとの死闘も、全てはこの最期の瞬間に、愛する人の温もりを感じるためにあったのだと、彼は心から受け入れることができました。
最後の会話は、ただお互いの名前を呼び合うだけの、静かで穏やかなものでした。
「コムギ…いるか…?」
「はいはい、おりますよ」
「…おやすみ、メルエム」
恐怖も後悔もなく、ただひたすらに温かい感謝と愛情に包まれながら迎えた彼の最期は、生物としてではなく、まさしく「人間」としての死でした。
この感動的なラストシーンは、メルエムが最終的に獲得した人間性の気高さと美しさを、何よりも雄弁に物語っています。
結論:やっぱりメルエムはいいやつだった
ここまで、メルエムの様々な側面を考察してきましたが、改めて「メルエムはいいやつだったのか?」という問いに答えるならば、その答えは「イエス」です。
もちろん、物語序盤の彼の行いは、決して許されるものではありません。
多くの命を奪い、世界を恐怖に陥れたことは紛れもない事実です。
その点だけを見れば、彼を「悪」と断じることもできるでしょう。
しかし、彼の物語の本質は、そこからいかにして変化し、成長したかにあります。
彼は、生まれ持った「悪」や「宿命」に抗い、最終的には自らの意思で「愛」を選び取りました。
もし、生まれや初期の行動だけでその人物の全てを評価するのであれば、人間社会における更生や成長といった概念も否定されてしまいます。
メルエムの魅力は、その完璧ではない部分にこそあります。
最強の王でありながら、一人の少女には勝てないという不完全さ。
冷酷な支配者でありながら、愛する者を守るためには全てを投げ出すという人間的な矛盾。
そして、自分の過ちに気づき、悩み、葛藤しながらも、より良い存在であろうとした彼の姿に、私たちは心を揺さぶられるのです。
彼は、人間を支配しようとしながら、皮肉にも誰よりも「人間とは何か」を体現する存在となりました。
純粋さ、優しさ、知性、そして愛。
これらの人間的な美徳を、彼はその短い生涯の最後に、誰よりも気高く輝かせました。
したがって、彼の全ての生涯を総合的に評価すれば、メルエムは間違いなく「いいやつ」であり、多くの読者に愛される、深く魅力的なキャラクターだったと結論付けることができます。
まとめ:「メルエム いいやつ」説を徹底考察して見えた王の素顔
- メルエムは当初、人間を食糧としか見なさない残虐な王だった
- 軍儀の天才コムギとの出会いが、彼の心に人間的な感情を芽生えさせた
- コムギを守るための行動の中に、メルエムの不器用で優しい一面が見られた
- 二人の関係は恋愛を超えた、見返りを求めない「純愛」そのものであった
- ネテロとの死闘を通じて、種の王ではなく「個」として生きる意味を問い始めた
- その出自には謎が多く、イエス・キリストをモデルにしたという説が存在する
- 絶対的な強さゆえの孤独と、愛を知ったが故の葛藤を抱える悲劇的な存在だった
- 最期は世界の支配ではなく、コムギと穏やかに過ごす時間を選んだ
- 感謝と愛情の中で迎えた死に様は、彼の人間性の到達点を示している
- 初期の行動は悪だが、変化と成長の物語全体を見れば、彼は「いいやつ」と言える
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