『呪術廻戦』の物語における絶対的な「呪いの王」、両面宿儺。
その強さとカリスマ性は、多くの読者を惹きつけてやみません。
物語の序盤では主人公・虎杖悠仁の肉体に宿っていましたが、新宿決戦でついに明かされたその「本来の姿」は、私たちの想像を絶するものでした。
この記事では、宿儺の本来の姿とはどのようなものか、その元ネタとなった伝説から、作中での身長、シャム双生児だったという説、そして彼を封印した人物や気になる最後について、徹底的に掘り下げていきます。
宿儺の本来の姿とは?作中と伝説での姿を解説
両面宿儺、本来の姿は四本腕の異形
両面宿儺の本来の姿は、結論から言うと「四本の腕と二つの顔を持つ異形の存在」です。
これは、物語が大きく動いた「人外魔境新宿決戦」において、伏黒恵の肉体を完全に支配下に置く儀式を経て、千年ぶりに現世に顕現しました。
その姿は、単に恐ろしいという言葉では表現しきれない、神話的な威圧感を放っています。
宿儺の本来の姿の詳細
- 四つの目と二つの顔:通常の顔に加え、額にもう一対の目があります。全ての目が見開かれたとき、相手は計り知れない恐怖を感じることでしょう。
- 四本の腕と二つの口:通常の腕とは別に、脇腹あたりからもう一対の腕が生えています。さらに、腹部には牙を剥きだした口があり、呪詞の詠唱にも使われることが示唆されています。
- 筋骨隆々の肉体:全身が極限まで鍛え上げられた筋肉で覆われ、体表には独特の紋様が刻まれています。これは彼の強大な呪力の流れを示すものかもしれません。
この特異な肉体は、彼が「呪術の研鑽に最も適した形」と認識している通り、戦闘において圧倒的な利点をもたらします。
例えば、四本の腕を駆使して複雑な印を高速で結びながら、同時に物理的な攻撃や防御を行うことができます。
また、二つの口を持つことで、片方で呪詞を詠唱している間も呼吸を止めずに済むため、息継ぎの隙が生まれません。
言ってしまえば、彼の強さは膨大な呪力量や術式への深い理解だけでなく、この異形なる肉体そのものに支えられているのです。
▼宿儺の姿の比較表 | 項目 | 虎杖悠仁の器 | 伏黒恵の器(受肉完了後) | | :— | :— | :— | | 外見 | 虎杖悠仁の姿。閉じた目が頬や手首に出現。 | 伏黒恵の姿がベースだが、平安時代の姿に変身。 | | 腕の数| 2本 | 4本 | | 顔/口| 1つの顔。意識を交代すると口が出現。 | 2つの顔(額に目)、2つの口(腹部に追加)。 | | 紋様 | 体に宿儺の紋様が浮かび上がる。 | 全身に紋様が刻まれている。 | | 戦闘 | 虎杖の身体能力がベース。 | 呪術に最適化された肉体で戦闘能力が最大化。|
このように、彼の姿は単なる怪物ではなく、「呪いの王」として君臨するための、計算され尽くした究極の戦闘形態と言えるでしょう。
両面宿儺、本来の姿での身長を考察
宿儺の本来の姿における身長は、公式ファンブックなどでは明記されていません。
しかし、作中の描写からその大きさを推測することは可能です。
結論として、ファンの間では「2メートルをはるかに超える巨体」であると考察されています。
彼が肉体を乗っ取った伏黒恵の身長は175cmですが、本来の姿になった宿儺は、彼と対峙した現代最強の呪術師・五条悟(約190cm)や、雷の化身である鹿紫雲一(181cm)と比べても、明らかにそれらを上回る威圧感を放っています。
特に、筋骨隆々の体格と四本の腕が、その巨躯を一層際立たせています。
読者の間では「220cmから230cmくらいではないか」という具体的な数字を挙げる声も多く、人間離れした「呪いの王」としての格を表現するために、意図的に高身長に設定されている可能性が非常に高いです。
一方で、彼の元ネタである『日本書紀』に登場する両面宿儺には、身長に関する具体的な記述は見当たりません。
ただ、「力強くして軽く捷(はや)し」といった記述や、鬼や龍を退治したという英雄譚から、当時の人々が彼を常人ではない「巨人」のような存在として認識していたことは想像に難くありません。
『呪術廻戦』における宿儺の巨大な姿は、この伝説上のイメージをさらに増幅させ、視覚的な説得力を持たせるための優れた演出と言えるでしょう。
両面宿儺の昔、呪術全盛の平安時代
宿儺が生きていた千年以上前の平安時代は、作中で「呪術全盛の時代」と語られています。
この時代において、彼はどのような存在だったのでしょうか。
一言で表すなら、彼は「歩く天災」そのものでした。
宿儺は、何か特定の思想や目的を持って破壊活動を行っていたわけではありません。
彼の行動原理は極めて単純明快で、「自らの快・不快」が全てです。
気に入らない者は殺し、食べたいものは食べる。
その振る舞いは、人間の都合など一切介さず、ただ圧倒的な力で全てを蹂虙する地震や津波のような自然災害に例えられます。
当時の呪術師たちは、文字通りその総力を挙げて宿儺に挑みましたが、誰一人として彼を討伐することはできませんでした。
彼の桁外れの呪力量、術式への深い理解度、そして前述した異形の肉体から繰り出される体術の前には、当代きっての術師たちもただ弄ばれるだけだったのです。
また、彼は呪術師だけでなく、呪霊たちにとっても「王」として君臨していました。
彼に逆らう呪霊は存在せず、その圧倒的な力の前にひれ伏すしかありませんでした。
この平安時代の振る舞いは、彼の揺るぎない哲学をよく表しています。
「強者こそが全て」であり、自分以外の他者の命や感情には一片の価値も見出さないのです。
彼にとって人間とは、せいぜい「食料」か、暇つぶしのための「玩具」でしかありませんでした。
この絶対的な強者としてのスタンスと、他者への徹底した無関心こそが、千年後の現代においても彼を最も危険な存在たらしめている根源なのです。
両面宿儺はシャム双生児だったという説
宿儺が持つ「四本腕・二つの顔」という異形性から、ファンの間で根強く囁かれているのが「シャム双生児(結合双生児)説」です。
これは、宿儺が元々は一卵性の双子であり、母親の胎内で身体が完全に分離しないまま生まれたのではないか、という考察です。
あるいは、生まれてきた双子の片割れを、もう片方が呪術的な手段で取り込み、一つの肉体に二つの魂、あるいはその名残が宿るようになったのではないか、とも考えられています。
この説は単なる憶測にとどまりません。
作中で宿儺自身が、鹿紫雲一との戦いの際に自らの出自について「俺は望まれぬ子だった」「忌み子として生を享けた」と語る場面があります。
このセリフは、彼が生まれた時から周囲に疎まれ、祝福されない存在であったことを強く示唆しています。
もし彼が結合双生児として生まれ、当時の医学や知識では理解できない「不吉の象徴」と見なされていたとすれば、この言葉には非常に重い意味が込められていることになります。
多くの文化圏で、結合双生児は不吉な存在と見なされてきた歴史があります。
一方で、インド神話のように神聖視されるケースもあり、この「神聖」と「不吉」という二面性は、奇しくも伝説上の両面宿儺が持つ「朝廷の敵」と「飛騨の英雄」という二つの顔に重なります。
作者の芥見下々先生がこの説を意図しているかは定かではありません。
しかし、「忌み子」であったという過去が、他者への共感を一切持たず、自らの快不快のみを基準に行動する、彼の歪んだ人格形成に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。
シャム双生児説は、宿儺の根源的な孤独と、人間を超越した異形性を説明する上で、非常に説得力のある仮説の一つとして多くの読者の支持を集めています。
宿儺の本来の姿から紐解く謎と人物像
両面宿儺を封印した人は誰だったのか
これほどの圧倒的な力を持っていた宿儺を、一体誰が、どのようにして止めたのでしょうか。
結論から言うと、『呪術廻戦』の世界において、宿儺は特定の誰か一人の手によって「討伐」されたわけではありません。
彼を止めたのは、一個人の英雄ではなく、平安時代の呪術師たちが総力を結集して行った「封印」でした。
当時の呪術師たちは、宿儺を殺すことが不可能であると悟り、死力を尽くした戦いの末、かろうじて彼の魂と肉体をこの世に繋ぎとめることに成功したのです。
つまり、特定の「封印した人」がいるわけではなく、当時の呪術界全体の血と汗と涙の結晶が、この封印という結果に繋がりました。
そして、その封印方法も極めて特殊なものでした。
宿儺の死後(この「死」が戦いの末の死なのか、自然死なのかは明確にされていません)、彼の遺体は強大な呪力を保ち続け、放置すれば新たな災厄を生み出す危険な存在でした。
そこで術師たちは、彼の遺体を20本の指に切り分け、それぞれを「特級呪物」として強力な結界を張った上で日本各地に散らして封印したのです。
これは、肉体が滅びてもなお残る強大な呪力を分割し、管理しようとした苦肉の策でした。
しかし、この封印は千年の時を経て綻びを見せ始めます。
一本一本の指が依然として強大な呪力を放ち続け、呪いを引き寄せ、最終的に虎杖悠仁がその指を取り込んだことで、「呪いの王」を現代に復活させる引き金となってしまいました。
ちなみに、元ネタである『日本書紀』では、両面宿儺は仁徳天皇の命を受けた将軍・武振熊命(たけふるくまのみこと)によって討伐されたと記されています。
『呪術廻戦』では、この「討伐された」という史実を「討伐できず、封印するのがやっとだった」と変更することで、宿儺の規格外の強さをより一層際立たせているのです。
両面宿儺はミイラになったという伝説
前述の通り、宿儺の遺体は20本の指に分けられ、「死蝋(しろう)」として特級呪物になりました。
この設定は、現実世界における「ミイラ」や、特に日本の山岳信仰に見られる「即身仏(そくしんぶつ)」の概念と深く結びついています。
即身仏とは、僧侶が衆生救済を願い、厳しい修行の末に自らの肉体をミイラ化させて後世に残すという、壮絶な信仰の形です。
この「肉体が朽ち果てずに残り、信仰や畏怖の対象となる」という概念が、『呪術廻戦』における「呪物」のシステムに、不気味なリアリティと深みを与えています。
さらに興味深いことに、「両面宿儺のミイラ」が実在したという伝説が、彼がいたとされる岐阜県周辺に伝わっています。
岐阜県関市にある日龍峯寺(にちりゅうぶじ)には、かつて寺の宝として両面宿儺のものとされるミイラが保管されていた、という話があるのです。
このミイラは寺の観音堂に安置されていたそうですが、残念ながら明治時代の混乱期に行方不明になったとされ、現在その存在を確認することはできません。
このミイラの真偽は定かではなく、あくまで伝説の域を出ない話です。
しかし、『呪術廻戦』の作者である芥見先生がこうした伝承を知り、そこから「強力な呪力を持ち続ける遺体(呪物)」という設定の着想を得た可能性は十分に考えられます。
宿儺の指が、単なる魔力を持つアイテムではなく、元は一個の生命体であったことを想起させる「ミイラ」のイメージは、物語に奥行きと、日本古来の死生観に根差した独特の恐ろしさをもたらす重要な要素となっているのです。
両面宿儺は女好きという噂は本当か
宿儺の圧倒的な強さとカリスマ性から、彼の人間関係、特に女性に対する態度について気になる読者もいるかもしれません。
一部で「女好き」というキーワードが関連付けられることがありますが、彼の作中での振る舞いを見ると、この評価は正しくないと言えます。
結論として、宿儺に「女好き」という側面は全く見られません。
彼の興味や関心は、徹頭徹尾「強さ」「食」「術式」、そして自らの「快・不快」にしか向いていません。
性別や恋愛といった人間的な感情は、彼の価値観の中に存在しないのです。
このことが最も顕著に表れたのが、平安時代の術師であり、宿儺に歪んだ愛情を抱いていた万(よろず)との関係です。
彼女は現代に受肉し、宿儺への「愛」を証明するため、彼に命懸けの戦いを挑みました。
彼女にとっての愛とは、全てを捧げ、彼に殺されることで完結するという、非常に独善的で歪んだものでした。
宿儺は、そんな万の愛の告白を「くだらん」「理解できん」と一蹴します。
彼が唯一評価したのは、万が命と引き換えに構築術式で作り上げた、彼を傷つけ得るほどの強力な武具だけでした。
これは彼女の「愛」を理解したのではなく、純粋に「強さに繋がる工夫」として認めたに過ぎません。
宿儺にとって万は、最期の瞬間まで「少し腕の立つ女」でしかなく、その感情に応えることは一切ありませんでした。
唯一、彼が傍に置くことを許している存在が、千年前からの従者である裏梅(うらうめ)です。
しかし、この関係も恋愛や友情とは全く異質の、絶対的な主君と忠実な僕(しもべ)という主従関係に過ぎません。
したがって、「両面宿儺=女好き」というイメージは、彼の本質から最もかけ離れた評価と言えるでしょう。
両面宿儺の最後はどうなるのかを考察
物語の最終盤において、ラスボスとして圧倒的な存在感を放つ両面宿儺。
彼の「最後」がどうなるのかは、『呪術廻戦』全体の結末に直結する、読者最大の関心事です。
現在、宿儺は人外魔境新宿決戦にて、五条悟を死闘の末に破り、その後も鹿紫雲一、日車寛見、そして主人公・虎杖悠仁を中心とした高専術師たちと激闘を繰り広げています。
その力は底が見えず、満身創痍のはずが次々と新たな能力を見せつけています。
彼の「最後」については、いくつかの可能性が考えられます。
1. 主人公・虎杖悠仁による完全な消滅
最も王道と言える展開です。
「宿儺の器」であった虎杖が、幾多の戦いを経て成長し、因縁の相手である宿儺をこの世から完全に消し去るという結末です。
虎杖の特異な体質や、魂を捉えることができる打撃が、宿儺を倒す鍵となる可能性があります。
「人を助ける」という祖父の遺言を胸に戦い続けてきた虎杖が、最大の呪いである宿儺を祓うことで、彼の物語は完結します。
2. 伏黒恵の魂による内部からの抵抗
宿儺は現在、伏黒恵の肉体を乗っ取っていますが、伏黒の魂が完全に消滅したわけではないことが示唆されています。
内側から伏黒が抵抗し、宿儺の力を削いだり、戦いの最中に致命的な隙を作ったりする展開が考えられます。
最終的に、伏黒の自己犠牲的な行動が、仲間たちが宿儺を倒すための突破口を開くかもしれません。
3. 誰も倒せないバッドエンド
『呪術廻戦』のダークな作風を考えると、誰も宿儺を倒すことができず、彼が新たな「天災」として世界に君臨し続けるという、救いのない結末もゼロではありません。
主要キャラクターが全滅し、呪術界が崩壊する…。
読者にとっては最も見たくない結末ですが、物語のテーマ性を突き詰めた結果として、あり得ないとは言い切れないのがこの作品の怖さでもあります。
いずれにせよ、両面宿儺が迎える結末は、『呪術廻戦』という壮大な物語のフィナーレを飾る、最大の見せ場となることは間違いないでしょう。
まとめ:宿儺の本来の姿と『呪術廻戦』最大の謎
- 宿儺の本来の姿は四本の腕と二つの顔を持つ異形である
- 本来の姿での身長は公式には不明だが、2メートル超と推測される
- その姿は日本最古の歴史書『日本書紀』の記述が元ネタである
- 異形の姿の理由として、シャム双生児だったという説が存在する
- 昔、平安時代では「歩く天災」として全ての術師を蹂躙した
- 特定の個人ではなく、当時の呪術界総出でかろうじて封印された
- 封印方法は遺体を20本の指に分け、ミイラ(死蝋)化させることだった
- 恋愛や女性に興味はなく、関心は強さと自らの快不快のみである
- 虎杖に倒されるのか、誰も倒せないのか、その最後は未だ謎に包まれている
- 宿儺は日本の伝説と作者の独創性が融合した究極の悪役である