週刊少年ジャンプで連載され、社会現象を巻き起こした『呪術廻戦』。
その物語は、「呪いの王」両面宿儺との壮絶な最終決戦をもって、ついに完結を迎えました。
この最終決戦は、あまりの激しさと期間の長さから、多くの読者の間で「宿儺との戦いが長い」という声が上がっていたのが記憶に新しいです。
なぜ宿儺はあれほど「強すぎ」で「タフすぎ」たのでしょうか。
また、一部で「ずるい」「つまらない」とまで言われた展開は、物語の面白さを損なうものだったのでしょうか。
この記事では、今だからこそ振り返ることができる「人外魔境新宿決戦」がなぜ長期化したのか、その理由を読者の感想も交えながら徹底的に分析・解説します。
【呪術廻戦】宿儺戦が長いと言われた理由
「呪術廻戦が長すぎ」と言われた車輪戦
宿儺との戦いが「長い」と感じられた最大の要因は、通称「車輪戦」と呼ばれる戦闘形式にあります。
これは、一人の強大な敵に対し、味方キャラクターが次々と入れ替わりながら戦いを挑む展開のことです。
本来であれば、総力戦の盛り上がりを演出する手法ですが、宿儺の圧倒的な強さの前では、各キャラクターが宿儺を消耗させるための「歯車」のように見えてしまい、読者に疲労感を与えました。
この決戦で、誰がどのような順番で宿儺に挑んでいったのか、改めて振り返ってみましょう。
戦闘順 | 主な挑戦者 | 宿儺の主な対応と結果 | 挑戦者の功績 |
1 | 五条 悟 | 魔虚羅を応用した「世界を断つ斬撃」で勝利 | 宿儺の能力を多数開示させ、全力を出させた |
2 | 鹿紫雲 一 | 全盛期の肉体を取り戻し、圧倒的な力で勝利 | 宿儺を平安時代の完全な姿に戻させた |
3 | 日車 寛見 & 虎杖 悠仁 | 呪具「神武解」を没収されるも日車を殺害 | 宿儺の武器を没収し、虎杖に「処刑人の剣」を託した |
4 | 乙骨 憂太 & 虎杖 悠仁 | 領域「伏魔御廚子」で乙骨の領域を破壊し、深手を負わせる | 領域内での猛攻で宿儺に反転術式を酷使させた |
5 | 禪院 真希 | 天与呪縛の身体能力で食い下がるも、決定打には至らず | 魂に干渉する一撃でダメージを与えた |
6 | ラルゥ、ミゲル、脹相など | 複数の術師による波状攻撃で時間を稼ぐ | 虎杖が覚醒するまでの時間を稼ぎ、宿儺を消耗させた |
このように、現代最強の五条悟でさえ敗北し、その後も有力な術師たちが次々と投入されては打ち破られていきました。
一人のキャラクターの戦いが終わると、間髪入れずに次の挑戦者が現れるという展開が繰り返され、しかも誰もが決定的な勝利を掴めないため、「また誰かが犠牲になるのか」という既視感が生まれました。
これが、作中の時間経過以上に、読者の体感時間を引き延ばし、「呪術廻戦が長すぎ」と感じさせる大きな要因となったのです。
呪術廻戦の宿儺が強すぎた戦闘能力
宿儺との戦いが長期化した根本的な原因は、彼の戦闘能力が文字通り「規格外」であった点に尽きます。
彼は単一の能力が優れているのではなく、呪術師に求められる全ての要素が、他の誰とも比較にならないレベルで完成されていました。
まず、彼の基本スペックは以下の通りです。
- 呪力量と効率:千年以上の時を生き抜いた「呪いの王」の名に恥じない、底なしの呪力量と、それを極めて効率的に運用する技術を持っていました。
- 身体能力と戦闘知能:受肉した伏黒恵の肉体を完全に掌握し、後には平安時代の全盛期の肉体を取り戻すことで、超人的な身体能力を発揮。加えて、数多の戦闘経験に裏打ちされた、相手の能力を即座に見抜き、最適解を導き出す戦闘知能も驚異的でした。
そして、彼の代名詞とも言える生得術式「御厨子(みづし)」が、その強さを不動のものとしていました。
この術式は、通常の斬撃である「解(かい)」と、相手の呪力や強度に応じて自動で最適な一撃を繰り出す「捌(はち)」の二種類を使い分けます。
特に「捌」の自動追尾・最適化能力は極めて強力で、これにより宿儺は最小限の労力で最大の効果を発揮することができました。
さらに、彼の領域展開「伏魔御廚子(ふくまみづし)」は、他の領域展開とは一線を画す神業でした。
通常、領域は結界を閉じて内外を完全に分断しますが、「伏魔御廚子」は結界を閉じずに生み出されます。
これは、相手に逃げ道を与えるという「縛り」を自らに課すことで、必中効果範囲を最大半径200メートルにまで拡大するという離れ業です。
この特異な領域が、五条悟の「無量空処」と壮絶な押し合いを演じ、数々の名場面を生み出しました。
これらの圧倒的な基礎能力があったからこそ、高専側の術師たちは誰一人として単独で宿儺を打ち破ることができず、結果として戦いは泥沼の長期戦へと発展していったのです。
反転術式による「宿儺タフすぎ問題」
宿儺の強さを語る上で、「タフすぎ」る耐久力と回復能力も欠かせません。
この異常なまでのタフネスが、高専側を何度も絶望の淵に追い込み、戦いを長引かせました。
宿儺のタフさの根源は、極めて高度な「反転術式」の扱いにあります。
反転術式は、マイナスのエネルギーである呪力を掛け合わせ、プラスのエネルギーを生み出す技術で、これにより肉体の治癒が可能です。
多くの術師にとって反転術式の習得は困難であり、たとえ使えても脳のような複雑な部位の治癒は至難の業とされています。
しかし、宿儺はこの常識を軽々と覆しました。
五条悟との戦いでは、領域展開の押し合いの末に脳に深刻なダメージを負っても、即座に治癒して見せ、五条を驚愕させました。
心臓を破壊されようが、腕を失おうが、何事もなかったかのように再生させるその姿は、まさしく不死身であり、「どうすれば倒せるのか」という根本的な問いを読者に突きつけました。
さらに、鹿紫雲一との戦いの後、ミイラのような不完全な状態から、腕が4本、目が4つある平安時代の全盛期の肉体へと完全受肉を果たします。
これにより、彼の呪力出力や耐久力はさらに向上しました。
乙骨憂太の領域内で浴びせられた怒涛の猛攻や、禪院真希が魂に干渉する刀で与えた一撃を受けてもなお、致命傷には至らないその耐久力は、読者から「タフすぎ」と言われるのに十分すぎるものでした。
この圧倒的な回復能力と耐久力があったからこそ、高専側はたとえ有効打を与えたとしても、宿儺に回復する時間を与えてしまい、延々と続く消耗戦を強いられることになったのです。
五条敗北で「宿儺に誰も勝てない」の声
物語の展開において、読者に「宿儺との戦いは長い」と感じさせた心理的な転換点が、現代最強の呪術師・五条悟の敗北です。
この衝撃的な出来事は、多くの読者に「宿儺には誰も勝てない」という絶望感を植え付けました。
五条悟は、作中において「最強」の象徴であり、彼がいれば何とかなるという、物語の最後の砦のような存在でした。
その五条と宿儺の戦いは、「最強対最強」の頂上決戦として、読者の期待を最高潮にまで高めました。
領域の押し合い、術式の解釈、そして圧倒的な火力の応酬。
激闘の末、五条は宿儺を追い詰め、勝利は目前かと思われました。
しかし、宿儺は五条の術式「無下限呪術」の「不可侵」を破るため、伏黒恵の魂に受肉したことで得た「十種影法術」を応用します。
あらゆる事象に適応する式神・魔虚羅に「不可侵」を適応させ、その術理を解析。
そして、空間そのものを断ち切る「世界を断つ斬撃」という新たな技を編み出し、五条悟を殺害するという、誰もが予想しえなかった結末を迎えました。
この展開は、物語に計り知れない衝撃を与えると同時に、読者の心理に大きな影響を及ぼしました。
最強の切り札であった五条ですら敗れたことで、その後の戦いは「誰が宿儺を倒すのか」という期待感よりも、「次に誰が犠牲になるのか」という悲壮感が漂うようになります。
「宿儺に誰も勝てない」という無力感が物語を支配し、終わりが見えない戦いが続くことへの徒労感へと繋がり、「戦いが長い」と感じる読者が急増するきっかけとなったのです。
宿儺戦が長いのは強すぎ・ずるいから?
後出しの術式が「宿儺はずるい」の声
宿儺の戦い方に対して、一部の読者から「ずるい」という声が上がったのも事実です。
これは、彼が常に相手の能力や作戦を見極め、ギリギリの状況になってからそれを上回る解決策を「後出し」するかのように披露する展開が多かったためです。
この戦い方は、宿儺の戦闘知能の高さや、あらゆる状況に対応できる手札の多さを示すものではありますが、主人公サイドに感情移入している読者から見れば、理不尽で「ずるい」と感じられるのも無理はありませんでした。
宿儺の主な「後出し」ムーブ
- 対無量空処:五条の領域「無量空処」の必中効果を無効化するため、領域展延や簡易領域ではなく、受肉している伏黒恵の魂にダメージを肩代わりさせて耐えるという荒業を見せました。
- 対領域破壊:領域の押し合いで敗北し、術式が焼き切れたかに見えましたが、実際には魔虚羅を召喚して時間を作り、反転術式で治癒していました。
- 対不可侵:五条の「不可侵」を破れないと見るや、魔虚羅の適応能力をヒントに、その場で「世界を断つ斬撃」を編み出し、最強の防御を破りました。
- 対処刑人の剣:日車寛見の領域で死罪が確定し、術式を没収されるかと思われましたが、没収対象が宿儺本体の「御厨子」ではなく、彼が所持していた呪具「神武解」であったため、術式は無事でした。
これらの展開は、高専側の練りに練った作戦や、命がけで掴んだ好機が、ことごとく宿儺の想定内であるかのように覆されてしまうため、読者にカタルシスを得る機会を与えませんでした。
この「何をやっても結局は宿儺にひっくり返される」という展開の連続が、「どうせ宿儺が勝つ」「宿儺はずるい」という感想に繋がり、戦いの長期化に対するフラストレーションの一因となったと考えられます。
なんjでも話題になった宿儺の強すぎ問題
『呪術廻戦』の最終決戦が白熱する中、匿名掲示板「なんでも実況J(なんJ)」をはじめとするインターネット上のコミュニティでは、「宿儺は強すぎではないか」という点が大きな議題となりました。
この「宿儺強すぎ問題」は、連載が進むにつれて賛否両論を巻き起こし、作品の評価を二分するほどの議論に発展しました。
否定的な意見を持つ読者の主な主張は、以下の通りです。
- パワーバランスの崩壊:宿儺の強さがインフレしすぎた結果、他のキャラクターとの力の差が絶望的になり、緊張感が失われた。
- カタルシスの欠如:主人公サイドがどれだけ頑張っても報われず、「後出し」で覆される展開にストレスが溜まる。
- 敵としての魅力の低下:あまりに強すぎて「天災」のような存在になり、キャラクターとしての人間味や背景が感じられなくなった。
これらの意見は、主に物語のエンターテインメント性や爽快感を重視する読者から多く聞かれました。
一方で、宿儺の圧倒的な強さを肯定的に捉える読者も数多く存在しました。
- 絶対的な悪のカリスマ:同情の余地がない、己の快不快のみを追求する純粋な「悪」としての姿勢が、ヴィランとして魅力的である。
- 考察の楽しさ:彼の術式の謎や、高度な呪術の応酬を読み解く過程が面白い。
- 王道展開への期待:これほどの絶望的な状況を、主人公がどうやって乗り越えるのかという、最終的なカタルシスへの期待感が高まる。
このように、宿儺の強さを巡る議論は、読者が物語に何を求めるかによって意見が大きく分かれました。
しかし、これほどまでにネット上で白熱した議論が交わされたこと自体が、『呪術廻戦』という作品が持つ熱量の高さを証明していると言えるでしょう。
謎の切り札「宿儺のフーガ」の正体
宿儺の底知れない強さを象徴する要素として、長らく謎に包まれていたのが「フーガ」と呼ばれる技の存在です。
この技は、渋谷事変で式神・魔虚羅を破壊する際に一度だけ使用されたきりで、その詳細は長らく不明でした。
口から炎の矢のようなものを放ち、絶大な威力を誇るその描写から、多くの読者は「御厨子」とは別の、宿儺が本来持つもう一つの術式ではないかと推測していました。
「御厨子」が斬撃、つまり料理における「切る」「捌く」工程であるならば、「フーガ」は調理の最終工程である「火入れ」に対応するのではないか、という考察が主流でした。
この未解明の切り札の存在が、「宿儺にはまだ余裕がある」「どうせ最後はフーガで勝つんだろう」という絶望感を読者に与え、彼の強さに更なる深みを与えていました。
そして物語の終盤、ついに「フーガ」の正体が明かされます。
考察の通り、「フーガ」は宿儺の生得術式「御厨子」に含まれる、「開(フーガ)」という技でした。
その正体は、圧倒的な熱量を誇る炎を操る能力であり、その威力は都市の一区画を消し飛ばすほど。
しかし、この技は極めて燃費が悪く、膨大な呪力を消費するため、宿儺自身も多用することはできませんでした。
彼が最終決戦で「フーガ」を安易に使わなかったのは、十種影法術という新たな手札を得ていたこと、そして高専術師たちとの連戦で、常に呪力効率を考慮する必要があったためです。
長きにわたる戦いの末に明かされたこの事実は、宿儺ですら無尽蔵に力を使えるわけではなかったことを示し、彼の強さに一定の制約とリアリティを与えました。
「強すぎでつまらない」は本当だったのか
「宿儺が強すぎてつまらない」という感想は、戦いが長期化する中で、確かに一部の読者が抱いた正直な気持ちだったでしょう。
主人公たちが命を懸けても一矢報いることさえ難しい展開は、読者に大きなストレスとフラストレーションを与えました。
では、その展開は本当に物語の価値を損なう「つまらない」ものだったのでしょうか。
完結した今、物語全体を振り返ると、その評価は変わってきます。
あの絶望的なまでの強さと長期にわたる戦いは、最終的なカタルシスを最大化するための、壮大な「フリ(前準備)」だったと言えるのです。
もし宿儺がもっと早い段階で倒されていたら、物語は確かに爽快だったかもしれません。
しかし、それでは『呪術廻戦』が描こうとしたテーマは表現できなかったでしょう。
この物語の結末は、一人の天才が最強の敵を打ち破るという単純なものではありませんでした。
- 情報の蓄積:五条悟は、その身と引き換えに「世界を断つ斬撃」の存在を暴きました。
- 武器の剥奪:日車寛見は、宿儺から強力な呪具を没収しました。
- ダメージの蓄積:乙骨憂太や禪院真希たちは、確実に宿儺の肉体と魂を消耗させました。
一つ一つの敗北は、無駄死にではありませんでした。
それらは全て、宿儺を倒すための「情報」と「ダメージ」という名の布石であり、最後の挑戦者である虎杖悠仁へと繋がる、希望のリレーだったのです。
宿儺が「強すぎ」たからこそ、才能や血筋ではない、多くの仲間の意志を繋いだ虎杖悠仁の勝利が、何物にも代えがたい輝きを放ちました。
長く苦しい戦いだったからこそ、その果てに訪れた結末は、読者に深い感動とカタルシスを与えてくれたのです。
まとめ:宿儺戦が長いと言われた理由と衝撃の結末
- 宿儺戦が長いと感じた最大の理由は「車輪戦」という戦闘形式にあった
- 五条悟をはじめとする有力術師が次々と敗北し、絶望感を煽った
- 宿儺の基本スペック、術式「御厨子」、領域「伏魔御廚子」は全てが規格外であった
- 反転術式による驚異的な回復力と耐久力が「タフすぎ問題」を生んだ
- 相手の策を後から覆す戦い方が「ずるい」と評される一因となった
- 「強すぎ問題」はネットでも賛否両論を巻き起こすほど注目された
- 謎の技「フーガ」は、彼の底知れなさを象徴する切り札であった
- 一つ一つの敗北は無駄ではなく、最終的な勝利への布石であった
- 宿儺の圧倒的な強さは、主人公・虎杖の勝利を際立たせるための壮大な演出だった
- 最終的に宿儺は、多くの犠牲の上に立った虎杖悠仁の一撃によって討伐された