『終末のワルキューレ』で繰り広げられる神と人類の最終闘争(ラグナロク)。
その第10回戦後、絶体絶命の沖田総司を救った謎多き神、イザナギに多くの注目が集まっています。
息子であるスサノヲノミコトの父として知られる彼が、なぜ敵であるはずの人間に手を貸したのか、その理由や神々の中での立ち位置は非常に気になるところでしょう。
当記事では、イザナギの正体である「原初神」の謎や、妻イザナミとの関係、そして作中での衝撃的な活躍について、原作96話以降の情報を基に徹底的に解説していきます。
この記事を読めば、イザナギというキャラクターの奥深さと、今後の物語における重要性がより深く理解できるはずです。
- 初回ログインで6回使える【70%OFF】クーポン配布中!
- 毎週金土日はコミックウィークエンドでPayPayポイント最大30%付与!
- 18,000作品以上の漫画が1冊まるごと無料
終末のワルキューレにおけるイザナギの登場と活躍
沖田総司を蘇生させた技「淤能碁呂」とは?
結論として、イザナギが沖田総司を蘇生させた技は、日本神話の「国産み」に由来する神技「淤能碁呂(オノゴロ)」です。
これは単なる回復魔法の域を超えた、生命そのものを創造・活性化させる規格外の能力と考えられます。
第10回戦でスサノヲノミコトとの死闘を制した沖田ですが、その代償は大きく、勝利のアナウンスが響く中で息絶え絶えの状態でした。
仲間である新選組の面々が駆け寄るも、近藤勇が「息がねぇ」と判断するほどの絶望的な状況に。
まさに魂が消滅(ニブルヘル)する寸前、そこに現れたのがイザナギでした。
彼はスサノオの父でありながら、その仇である沖田を救うために降臨したのです。
イザナギは近藤から沖田を受け取ると、「こをろ こをろ」という独特の祝詞のような言葉を唱えながら、沖田の体に手をかざしました。
この行為こそが、国産みの神技「淤能碁呂」の発動です。
淤能碁呂の由来と能力
「淤能碁呂(島)」とは、日本神話においてイザナギと妻イザナミが天の沼矛(あめのぬぼこ)で混沌とした大地をかき混ぜ、最初に創り出したとされる島のことです。
つまり、この技は無から有を、混沌から秩序を生み出す「創造」の権能そのものと言えるでしょう。
作中では、この技によって沖田の肉体と魂が再構築され、消滅の危機から救われました。
同時に、沖田の神器となっていたワルキューレ第六女「スカルモルド」も無事に姿を現しており、一蓮托生の関係にあるワルキューレごと救済するほどの絶大な効果を発揮しています。
ただし、これはあくまで緊急蘇生であり、完全回復ではありませんでした。
イザナギ自身も「あくまで命を繋いだだけ」と語っており、沖田が再び戦えるようになるには、しっかりとした治療と時間が必要であることを示唆しています。
戦闘における直接的な強さはまだ未知数ですが、生命の根源に干渉するこの能力は、他の神々の破壊的な能力とは一線を画す、まさに創造神ならではの神技と言えます。
息子スサノオのために沖田に頭を下げた理由
イザナギが息子を打ち破った沖田を助け、さらに深々と頭まで下げた理由は、息子スサノオが沖田との戦いを通して「剣士としての頂きへ至れた」ことへの、心からの感謝と敬意を示すためでした。
これは、敵味方を超えた武人としてのリスペクトであり、父として息子の成長を何よりも喜ぶ深い愛情の表れです。
ラグナロクにおいて、神と人間は明確な敵対関係にあります。
そのため、スサノオの父であるイザナギが登場した際、新選組の面々は「仇討ちか」と身構えました。
しかし、イザナギの目的は真逆でした。
彼は、沖田という存在がいたからこそ、息子スサノオが神生をかけて挑んだ戦いで本懐を遂げられたのだと語ります。
「あやつ(スサノオ)は神生をかけてこの闘いに挑み 剣士としての頂きへ至る事ができた」
「そなたという好敵手(とも)がいたからこそじゃ」
これらのセリフから、イザナギがスサノオの敗北をただ悲しむのではなく、一人の剣士として最高の相手と死力を尽くせた息子の生き様を誇りに思っていることがわかります。
そして、その最高の舞台を用意してくれた沖田に対し、神という立場を超えて一人の父として「礼を言う」と頭を下げたのです。
この行為は、神が人間より上位の存在であるというラグナロクの世界観の根幹を揺るがすものでした。
勝敗や種族を超えて、互いの誇りと生き様を尊重するイザナギの姿勢は、彼が非常に気高く、懐の深い神であることを示しています。
息子の成長を促してくれた相手に感謝を示すという行動は、多くの読者に感動を与え、イザナギというキャラクターの人気を決定づける名シーンとなりました。
イザナギの行動に驚く神々の反応まとめ
結論から言うと、神々の頂点に立つ存在であるイザナギが、一人の人間に深々と頭を下げた前代未聞の行動は、観戦していた神々全体に計り知れないほどの衝撃と動揺を与えました。
この出来事は、神側の陣営に一枚岩ではない複雑な空気感を生み出し、今後のラグナロクの展開に大きな影響を与える可能性があります。
神が人間より絶対的に上位であるという共通認識は、ラグナロク開催の大前提です。
その常識を覆すイザナギの行動に、神々の観客席は騒然となりました。
「あのイザナギ様が…」「人間に頭を…」といったざわめきが広がり、誰もが目の前の光景を信じられないといった様子でした。
特に、神々のトップ層の反応は三者三様で、それぞれの思惑が垣間見えます。
神の名前 | 反応と考察 |
ゼウス | 驚きつつも、この流れを「面白い」と捉えている様子。人類の底知れない可能性を再評価し、この「ビックウェーブ」に乗ろうとしているかのような表情を見せていました。元々戦闘狂であるゼウスにとって、予想外の展開は刺激的なものなのかもしれません。 |
オーディン | 表情は描かれていませんが、沈黙を貫いています。原初神の復活という自らの「宿願」を抱く彼にとって、人類側に有利な流れや、同じ原初神であるイザナギの予測不能な行動は、計画の障害となりかねません。内心では苦々しく思っている可能性が高いでしょう。 |
アレス | 状況が全く理解できず、ただただ混乱している様子。ヘルメスに解説を求めるなど、彼の常識が通用しない事態に戸惑いを見せています。 |
このように、イザナギの一連の行動は、神々の間に様々な波紋を広げました。
特に、最高神ゼウスが人類の可能性を認め始めたかのような素振りを見せたことは、今後の対戦カードや神側の結束に影響を与えるかもしれません。
イザナギの行動は、単なる一回戦の結末処理に留まらず、ラグナロク全体の潮目を変える可能性を秘めた、非常に重要なターニングポイントとなったのです。
何話に登場?10回戦終結後の96話
イザナギが物語の核心に深く関わる形で本格的に登場し、その圧倒的な存在感を示したのは、原作漫画の第96話です。
この回は、第10回戦「沖田総司 vs スサノヲノミコト」の激闘が決着した直後の物語が描かれています。
読者がイザナギの活躍を直接目にするためには、この96話を読む必要があります。
それまでの流れを簡単にまとめると、以下のようになります。
- 第10回戦で、人類代表の沖田総司と神代表のスサノヲノミコトが激突。
- 壮絶な斬り合いの末、沖田が勝利を収めるも、自身も致命傷を負い絶命寸前となる。
- スサノオは敗北し、魂が完全に消滅。観客席で見守っていた父イザナギ、姉アマテラス、兄ツクヨミは涙を流す。
- 勝利したにもかかわらず、沖田の命の灯が消えかけ、仲間たちが悲壮に包まれる。
- その絶望的な状況下で、イザナギが闘技場に降臨し、沖田の蘇生を開始する。
このように、96話は10回戦のエピローグであると同時に、イザナギという新たなキーパーソンが物語の中心に躍り出る重要な回となっています。
ちなみに、10回戦の最中にも観客席で息子を見守る姿が描かれてはいましたが、顔やセリフがはっきりと描写され、物語を動かすキャラクターとして登場したのは96話が初めてです。
2025年7月現在、このエピソードはまだ単行本には収録されていません。
いち早くイザナギの活躍を見たい方は、漫画雑誌『月刊コミックゼノン』のバックナンバーや、電子書籍配信サイトで96話以降を探すことをお勧めします。
終末のワルキューレのイザナギの正体と神話の関係
イザナギの正体は原初神の生き残りだった
イザナギの神々の中での特異な立ち位置と絶大な能力の根源は、彼の正体がこの世界を創った88柱の「原初神」の一柱であり、かつて神々の世界で起こった大戦を生き延びた極めて重要な存在であることにあります。
この衝撃の事実は、第97話でノストラダムスによって冥界の奈落(タルタロス)に連れてこられたゲルに対し、ジークフリートが語った神話の真実によって明らかになりました。
ジークフリートによると、世界の始まりには88柱の原初神が存在しました。
しかし、ある時、その頂点に立つ「原初四至柱(ユグドラシル)」と呼ばれる4柱(オーディン、魔皇サタン、混沌の主カオス、原初の巨人ユミル)を含む11柱の神々が、「我ら原初神以外の出来損ないの神々は不要だ」と唱え、他の神々の粛清を計画します。
これに対し、イザナギを含む残りの77柱の原初神は猛反発。
これが、神々の世界の歴史から抹消された大戦「原初神たちの黄昏(ラグナロク)」の始まりでした。
戦いは不要論を唱える11柱が圧倒的に優勢でしたが、数の利を持つ反対派は、自らの命と引き換えに相手を封印する大禁術「グレイプニル」を発動。
これにより、11柱の封印には成功したものの、術を行使した77柱の原初神たちもその多くが命を落としました。
イザナギは、この禁術に関わりながらも生き残った、数少ない貴重な原初神の一人なのです。
他の神々が彼に一目置くのは、単に日本神話の主神だからというだけでなく、世界の創造と神々の歴史の根幹に関わってきた「生き証人」であり、絶大な力を持つ大戦のサバイバーであるからに他なりません。
この事実は、オーディンの真の目的やラグナロクの裏に隠された謎を解き明かす上で、非常に重要な鍵となります。
妻である終末のワルキューレのイザナミとの関係
『終末のワルキューレ』の作中において、現時点ではイザナギと妻イザナミの直接的な関係性やエピソードは描かれていません。
しかし、イザナギがスサノオやアマテラスの父として登場していることから、日本神話と同様に、イザナミが彼の妻であり神々の母であるという設定は、物語の背景に存在していると考えるのが自然です。
今後の展開で、二人の関係が描かれる可能性は十分にあります。
日本神話におけるイザナギとイザナミ
二人の関係性を理解するために、まず日本神話でのエピソードを知っておくことが重要です。
- 国産みと神生み: イザナギとイザナミは兄妹であり夫婦の神です。二人は協力して日本の国土(大八島)や、自然、生活に関わる多くの神々を産み出しました。
- イザナミの死と黄泉の国: しかし、火の神であるカグツチを産んだ際、イザナミは大やけどを負って亡くなり、死者の国である「黄泉の国(よみのくに)」へ行ってしまいます。
- 決別: イザナギは妻を連れ戻そうと黄泉の国まで追いかけますが、「決して覗いてはならない」という約束を破り、腐敗し蛆が湧いたイザナミの醜い姿を見てしまいます。見られたことに激怒したイザナミは、鬼のような姿(黄泉醜女)となってイザナギを追いかけ、二人は完全な決別を迎えました。
『終末のワルキューレ』での描写と考察
『終末のワルキューレ』の世界は、「天界」「地上界」「冥界(ヘルヘイム)」の三層構造になっています。
日本神話の「黄泉の国」が、この「冥界」とどのように関連付けられるかは非常に興味深いポイントです。
もし、イザナミが登場するとすれば、冥界の住人、あるいはハデスやベルゼブブといった冥界側のキャラクターと関わる形で登場するかもしれません。
原初神の物語がさらに深く掘り下げられる中で、イザナギの過去、特に最愛の妻との悲劇的な別れが、彼の現在の行動理念や性格にどう影響しているのかが描かれる可能性があります。
イザナギのキャラクターをより深く知る上で、イザナミとの関係は避けては通れないテーマであり、今後の登場が期待されるキャラクターの一人です。
息子スサノヲノミコトとの親子関係
作中で描かれるイザナギとスサノオの関係は、単に血が繋がった父と子というだけでなく、息子の生き様と覚悟を深く理解し、その意志を最大限に尊重する、深い絆と信頼で結ばれた親子関係です。
イザナギの行動の根底には、常に息子スサノオへの愛情と誇りが見て取れます。
第10回戦の間、イザナギは観客席で娘のアマテラス、息子のツクヨミと共に、静かにスサノオの戦いを見守っていました。
息子が敗れ、魂が消滅した際には、他の家族と共に涙を流し、その死を深く悼む父親としての一面を見せています。
ここまでは、ごく一般的な親子の姿かもしれません。
しかし、イザナギの真骨頂はその後の行動にあります。
前述の通り、彼は息子の仇である沖田を救い、頭を下げました。
これは、スサノオが「人類史上最強の人斬りと命を懸けて斬り合いたい」という純粋な願い(本懐)を抱いてラグナロクに臨んだことを、父として完璧に理解していたからです。
スサノオにとって、この戦いは勝敗以上に、自らの剣の道を極めるための至高の舞台でした。
その最高の相手となってくれた沖田が、勝利の代償として虚しく消滅することは、スサノオ自身が最も望まない結末でしょう。
イザナギは、亡き息子のその想いを汲み取り、代行する形で沖田を救ったのです。
日本神話におけるスサノオは、乱暴狼藉を働いて高天原を追放されるなど、しばしば問題児として描かれます。
しかし『終末のワルキューレ』では、そうした神話的背景を超えて、互いを深く信頼し、息子の剣士としての誇りを何よりも大切にする、理想的な父子の姿が描かれていると言えるでしょう。
神々の中での強さや立ち位置を考察
結論として、イザナギは『終末のワルキューレ』の世界において、ゼウスやオーディンといった最高神たちに匹敵、あるいはそれ以上の影響力を持つ、紛れもなく最高位の神の一柱であると考えられます。
その強さと立ち位置は、単なる戦闘力だけでなく、彼の出自と特異な能力、そして神々からの敬意に基づいています。
強さの根拠①:原初神という出自
イザナギは、世界の創造に関わった原初の世代であり、神々の歴史を揺るがした大戦「原初神たちの黄昏」を生き抜いたサバイバーです。
この経験は、他の神々が持ち得ない圧倒的な知識と経験値を持っていることを意味します。
歴史の当事者である彼が持つ情報の価値は計り知れません。
強さの根拠②:神技「淤能碁呂」
戦闘シーンはまだ描かれていませんが、死者を蘇生させ、生命そのものを創造する「淤能碁呂」の能力は、規格外と言わざるを得ません。
単純な破壊力や戦闘技術とは次元の異なる、生命の根源に干渉するこの力は、使い方次第で戦局や世界の理さえも覆しかねないポテンシャルを秘めています。
立ち位置の根拠:他の神々の反応
作中で神々が「あのイザナギ様が」と口々に畏怖の念を示すことからも、彼が絶大な敬意を集める存在であることがわかります。
これは、日本神話の主神というだけでなく、原初神の生き残りという出自も相まって、神々の中で特別な地位を確立している証拠です。
今後の役割についての考察
現在、ラグナロクの裏ではオーディンが「原初神の復活」を目論んでいるとされています。
イザナギは、その原初神の内情を誰よりも知る存在です。
オーディンの計画の危険性を知る者として、彼と対立する構図になる可能性は非常に高いでしょう。
また、すでに沖田を救うという形で人類に協力的な姿勢を見せています。
今後、彼がどちらの陣営につくのか、あるいは第三の勢力として物語を動かすのか。
イザナギの動向一つが、ラグナロク、ひいては世界の運命そのものを左右する、最重要キーパーソンであることは間違いありません。
まとめ:終末のワルキューレのイザナギの謎を徹底解剖
- イザナギは日本神話の創造神でありスサノオの父である
- 原作96話で第10回戦決着後に本格的に登場する
- 瀕死の沖田総司を神技「淤能碁呂」で蘇生させた
- 沖田を助けたのは息子スサノオへの敬意と感謝からである
- 神でありながら人間に頭を下げる異例の行動を見せた
- その行動はゼウスやオーディンら神々に衝撃を与えた
- 正体は世界を創った88柱の「原初神」の生き残りである
- かつての大戦「原初神たちの黄昏」では77柱の反対派に属していた
- 妻イザナミとの関係は作中ではまだ詳しく描かれていない
- 神々の中でも最高位の存在で今後の物語の鍵を握る