『終末のワルキューレ』に登場するブッダ(釈迦)は、その独特のキャラクター性で多くの読者を魅了しています。
神々の代表として選ばれながらも、突如として人類側への「裏切り」を宣言し、自らの信念を貫く姿は、単なる「かっこいい」という言葉では表しきれません。
彼の圧倒的な「強さ」の秘密や、作中屈指の名勝負と名高い第六回戦の「対戦相手」、そしてその衝撃的な「勝敗」の行方は、ファンならずとも気になるところではないでしょうか。
この記事では、『終末のワルキューレ』のブッダこと釈迦に焦点を当て、その人物像から能力、そして運命の戦いの結末まで、あらゆる情報を網羅して徹底的に解説していきます。
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『終末のワルキューレ』のブッダとは?その魅力と強さを解説
終末のワルキューレで釈迦が見せた衝撃の裏切り
『終末のワルキューレ』における釈迦の最も衝撃的な行動は、神々全体を裏切り、人類の味方になったことです。
ラグナロク第六回戦、神側の代表としてゼウス直々に指名された釈迦は、闘技場に入場するやいなや、実況のヘイムダルから角笛ギャラルホルンを借り受け、全世界に向けて「オレ 人類側から出るんで…頼(よろ)」と宣言しました。
この前代未聞の寝返りは、神々はもちろん、当の人類側さえも大混乱に陥れるものでした。
彼がこのような行動に出た背景には、「天上天下唯我独尊」を地で行く彼の生き方が大きく関係しています。
釈迦は、他者から運命を押し付けられることを何よりも嫌います。
神々が一方的に人類の滅亡を決定し、ラグナロクという形で運命を強制しようとすることに、強い反感を抱いていました。
「神が救わぬなら俺が救う」「邪魔する神は 俺が殺(や)る」というセリフは、彼の強い決意の表れです。
自分の行動は自分で決めるという彼のスタンスは、ラグナロク開催以前から一貫していました。
ワルキューレの長姉ブリュンヒルデが、神々に対抗する術「一蓮托生」を教わりに来た際にも協力しており、この時からすでに神々の在り方に疑問を抱き、人類側に立つ可能性を示唆していたのです。
そのため、ゼウスは彼の裏切りを「問題ない」と受け入れ、むしろその展開を楽しんでいるかのような素振りさえ見せました。
この衝撃的な裏切り劇は、釈迦というキャラクターが単なる神の一柱ではなく、物語の根幹を揺るがす重要な存在であることを読者に強く印象付けたのです。
終末のワルキューレで釈迦がかっこいいと言われる理由
釈迦のかっこよさは、その圧倒的な強さだけでなく、彼の生き様そのものに根差しています。
タンクトップにサンダル、サングラスといった現代の若者のようなユルい出で立ちで、神々の王ゼウスを「ゼウスちゃん」と呼ぶなど、飄々として掴みどころがありません。
しかし、その軽薄に見える態度の裏には、誰にも揺るがすことのできない確固たる信念が宿っています。
彼の魅力の核心は、「自分の意志を貫く自由さ」と「他者の幸福を願う懐の深さ」のギャップにあると言えるでしょう。
彼は、自分の幸福は自分で掴み取るものだと考えています。
生前のエピソードでは、敬愛する親戚ジャータカの死に際し、「幸福は裡(ここ)にある」と悟り、王の地位や家族、財産のすべてを捨てて自らの道を歩み始めました。
この思想は、他者と接する際にも一貫しています。
対戦相手となる零福が「人々を幸福にしたい」という願いが歪み、嫉妬と憎悪に苦しんでいた際には、彼の苦しみを否定せず、「不幸(かげ)あるところに 幸福(ひかり)あり…だよ?」と語りかけました。
そして、「自分を愛す」ことこそが幸福への道だと説き、敵であるはずの零福をも救おうとしたのです。
このような、敵味方や善悪の垣根を越え、ただ己の信じるままに行動し、すべての存在の可能性を肯定する姿は、ブリュンヒルデに「史上最強の思春期」と言わしめました。
自由奔放でありながら、その行動すべてが他者への深い理解と慈愛に基づいている。
この人間的な魅力こそが、多くの読者が釈迦を「かっこいい」と感じる最大の理由なのです。
終末のワルキューレにおける釈迦の圧倒的な強さ
釈迦の強さは、精神的なものだけでなく、戦闘能力においても神々の中でトップクラスの実力を誇ります。
一見すると戦闘とは無縁そうなユルい雰囲気をまとっていますが、その実力は本物です。
彼は、人間であった王子時代にインドの古武術「カラリパヤット」を修めており、その体術は神となった今でも健在です。
彼の戦闘能力は、大きく分けて「卓越した体術」「未来視能力」「変幻自在の神器」という三つの要素で構成されています。
まず、基礎となる体術だけでも非常に高く、七福神の一人である恵比寿が銃を撃つよりも速く、食べていたキャンディの棒を吹き矢のように放って手を撃ち抜くほどの動体視力と精密動作を可能とします。
しかし、釈迦の強さを真に規格外のものとしているのは、悟りによって開花した二つの特殊能力です。
一つは、相手の未来の行動を「識る」ことができる未来視能力「正覚・阿頼耶識(しょうがく・あらやしき)」。
そしてもう一つが、自身の感情に呼応して六つの異なる形態に変化する神器「六道棍(りくどうこん)」です。
この未来視による完全な先読みと、状況に応じて最適な武器へと変化する神器のコンビネーションにより、釈迦はあらゆる相手に対して有利に立ち回ることができます。
攻撃、防御、回避のすべてにおいて隙がなく、相手は為す術もなく翻弄されることになります。
この盤石の戦闘スタイルこそが、神々の中でも一目置かれる釈迦の圧倒的な強さの源泉なのです。
未来を識る「阿頼耶識」と神器「六道棍」の能力
前述の通り、釈迦の戦闘スタイルの核となるのが、未来視能力「正覚・阿頼耶識」と神器「六道棍」です。
この二つの能力は、それぞれが強力であるだけでなく、互いに完璧なシナジーを生み出しています。
正覚・阿頼耶識(しょうがく・あらやしき)
これは、相手の魂が放つ「ゆらぎ」を視ることで、数秒先の未来の行動を完全に「識る」ことができる能力です。
佐々木小次郎の「萬手無双」が膨大な経験に基づく「予測」であるのに対し、阿頼耶識は確定した未来を視る「予知」に近いものです。
相手が行動を起こそうとする意志(魂のゆらぎ)を直接捉えるため、回避やカウンターはほぼ百発百中で成功します。
さらに、アダムの「神虚視(ゴッド・アイ)」のように視神経に負担をかけることもなく、無制限に使用できる点も驚異的です。
ただし、この能力には唯一の弱点が存在します。
それは、相手の魂が完全な闇に包まれ、「ひかり」が一筋もない場合、その未来を識ることができないという点です。
神器「六道棍(りくどうこん)」
釈迦が手にするこの神器は、錫杖にマニ車が付いたような形状をしています。
最大の特徴は、釈迦自身の感情の昂りに応じて、六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)にちなんだ六つの形態に自動で変化することです。
釈迦が意図的に変形させることはできず、その時々の感情が最適な武器を形作ります。
六道の形態 | 観音名 | 武器形状 | 特徴 | 感情 |
壱之道・天道 | 如意輪観音 | 十二天斧(ハルバード) | リーチに優れ、打ち合いに強い長斧。 | 喜び、楽しみ |
弐之道・畜生道 | 馬頭観音 | 正覚涅槃棒(棍棒) | トゲ付きの巨大な棍棒。突撃や打撃戦向き。 | 怒り、闘争心 |
参之道・人間道 | 不空羂索観音 | 金剛独鈷剣(短剣) | 短い両刃剣。高速戦闘や精密な斬撃に使用。 | 平常心、冷静 |
四之道・修羅道 | 十一面観音 | 七難即滅の楯(大楯) | 巨大な盾。鉄壁の防御力を誇る。 | 恐怖、焦り |
五之道・餓鬼道 | 千手観音 | 荒神の戦鎌(大鎌) | 殺傷力に特化した巨大な鎌。 | 憎悪 |
六之道・地獄道 | – | (作中未登場) | – | (作中未登場) |
このように、釈迦は阿頼耶識で未来を読み、六道棍でその未来に対応する最適な一手を打つという、完璧な戦闘理論を確立しているのです。
『終末のワルキューレ』ブッダ、ラグナロクでの勝敗
終末のワルキューレでの釈迦の対戦相手は誰?
釈迦がラグナロク第六回戦で対峙した相手は、一人ではありません。
当初の対戦相手は、神側の代表として選ばれた七福神のリーダー格、最強の武神「毘沙門天」でした。
しかし、釈迦が人類側への寝返りを宣言したことで事態は一変します。
毘沙門天は他の六柱の福の神(恵比寿、大黒天、布袋尊、福禄寿、寿老人、弁財天)と合体し、本来の姿である災厄と福徳の神「零福(ぜろふく)」へと変貌しました。
零福は、かつて人々の不幸を一身に吸い込み続けた結果、人間への愛が憎悪と嫉妬に歪んでしまった悲劇の神です。
釈迦はこの零福と激闘を繰り広げ、戦いの末に彼の心を救済しかけます。
しかしその瞬間、冥界の神ベルゼブブが零福に植え付けていた「波旬の種」が覚醒。
零福の肉体を乗っ取り、伝説の狂戦士「第六天魔王・波旬(はじゅん)」が降臨しました。
波旬は、かつて冥界を半壊させたほどの圧倒的な破壊の化身であり、その魂は完全な闇に閉ざされています。
したがって、釈迦の第六回戦は、実質的に「VS 零福」と「VS 波旬」の二部構成となっており、特に後者の波旬こそが真の対戦相手と言えるでしょう。
悲劇の神、そして伝説の魔王という、二人の強大な神が釈迦の前に立ちはだかったのです。
終末のワルキューレでの釈迦の気になる勝敗結果
多くの読者が固唾を飲んで見守った第六回戦の勝敗は、壮絶な死闘の末に「釈迦の勝利」で幕を閉じました。
これにより、人類側は通算戦績を3勝3敗の五分に戻し、絶望的な状況から一縷の望みを繋ぐことに成功します。
戦いの序盤、釈迦は零福に対しては阿頼耶識を駆使して優位に立ち回っていました。
しかし、対戦相手が波旬へと変貌してからは、一転して絶体絶命の窮地に立たされます。
波旬の魂は完全な闇であり、釈迦の切り札である阿頼耶識が一切通用しなかったのです。
未来が視えない状況で、波旬の圧倒的なパワーと予測不能な攻撃に晒され、釈迦は左目を失明するほどの深手を負い、神器「六道棍」も完全に破壊されてしまいました。
万策尽きたかと思われたその時、奇跡が起こります。
破壊された六道棍の代わりに、釈迦は零福が遺した神器「斧爻(ふこう)」を手に取りました。
そして、消滅しかけていた零福の魂と対話し、共に戦うことを誓います。
この二人の魂が一つになる「一蓮托生」によって、新たな神器「大円寂刀・零(だいえんじゃくとう・ぜろ)」が誕生したのです。
零福の魂と共鳴することで、釈迦は再び未来を視る力を取り戻し、最後は必殺の「天眼妙覚大涅槃斬(マハーバリ・ニルヴァーナ)」で波旬を両断。
神をも超える魔王を打ち破り、人類に大きな一勝をもたらしました。
終末のワルキューレで釈迦は負けることなく勝利
釈迦は最終的に勝利を収めましたが、その道のりは決して平坦なものではなく、作中で最も「負ける」寸前まで追い詰められた闘士の一人と言えます。
彼が敗北の淵に立たされた最大の理由は、前述の通り、対戦相手である波旬の特性にありました。
釈迦の戦闘スタイルの根幹は、阿頼耶識による「未来視」です。
相手の次の行動が完璧にわかるからこそ、最小限の動きで回避し、的確なカウンターを叩き込むことができました。
しかし、魂が「無」や「闇」である波旬に対しては、この能力が完全に無効化されてしまったのです。
これは、釈迦にとって羅針盤を失った船乗りが嵐に遭遇するようなものです。
これまで頼ってきた絶対的なアドバンテージを失い、純粋なパワーとスピードで上回る波旬の猛攻を、己の体術と経験だけで凌がなければなりませんでした。
その結果、攻撃を捌ききれずに左目を潰され、防御の要であった六道棍(修羅道の楯)も破壊されてしまいます。
武器と眼、そして最大の能力を失ったあの瞬間は、誰の目から見ても釈迦の敗北は決定的でした。
まさに「負ける」べくして負ける状況だったと言えるでしょう。
しかし、彼はそこから不屈の精神力と、敵であった零福との絆という、予測不能な要素によって逆転勝利を掴み取りました。
この絶望的な状況からの大逆転劇こそが、釈迦の勝利を単なる一勝以上の、感動的な物語へと昇華させているのです。
終末のワルキューレで釈迦は死亡した?
結論から言うと、釈迦は死亡していません。
第六回戦で波旬との死闘を制し、左目に重傷を負いはしたものの、無事に生存しています。
『終末のワルキューレ』におけるラグナロクのルールは非常にシンプルで、戦いに敗れた者は神であろうと人間であろうと、その魂が完全に消滅し、輪廻転生すら許されない「無」に還ります。
これまでの戦いでも、呂布奉先、アダム、ポセイドン、ヘラクレスといった多くの闘士たちが、敗北と共にこの世から消え去りました。
第六回戦においては、敗者となった波旬、そして彼の器であった零福(と七福神)がこのルールに従い、完全に消滅しています。
一方で、勝者である釈迦の魂は存続しました。
作中でも、戦いが終わった後に釈迦が治療を受けているシーンや、人類側代表の一人である坂田金時が見舞いに訪れ、会話を交わす場面が描かれています。
このことから、彼が死亡していないことは明らかです。
左目の傷は残ったものの、彼の存在そのものは健在であり、今後のラグナロクの行方を見守る重要なキャラクターとして、物語に関わり続けていくことでしょう。
まとめ:『終末のワルキューレ』のブッダ、その魅力と勝敗の全て
- 『終末のワルキューレ』のブッダ(釈迦)は神側の代表でありながら人類側についた
- 自らの意志を貫く「天上天下唯我独尊」が彼の信条である
- 飄々とした言動と、その裏にある確固たる信念のギャップが魅力とされる
- 未来を視る「正覚・阿頼耶識」が彼の強さの核である
- 感情で形態が変わる神器「六道棍」を駆使して戦う
- 第六回戦の対戦相手は零福、そして第六天魔王・波旬であった
- 激闘の末、釈迦は波旬を打ち破り勝利を収める
- 阿頼耶識を無効化され、左目を失うなど敗北寸前まで追い詰められた
- 戦いには勝利したため、死亡しておらず生存している
- 敵であった零福の魂と絆を結び、新たな神器を生み出して逆転した
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