1999年に出版され、後に東日本大震災を予言したとして話題になった漫画『私が見た未来』。
その衝撃的な内容から、絶版にもかかわらず中古市場で高値がつくほどの注目を集めました。
2021年には新たな予言を加えた「完全版」が復刻され、再び世間の関心を集めています。
しかし、その一方で「予言はこじつけではないか?」という懐疑的な声も少なくありません。
特に、2025年7月に起こるとされる大災難の予言については、その信憑性を疑う人も多いでしょう。
この記事では、「私が見た未来はこじつけなのか?」という疑問に焦点を当て、作者たつき諒氏の予言を徹底的に検証します。
東日本大震災の予言の真相から、2025年のネタバレ、南海トラフとの関連性まで、読者が抱く疑問に多角的な視点から迫ります。
『私が見た未来』はこじつけ?予言の真相を徹底検証
『私が見た未来』と東日本大震災の予言
『私が見た未来』が「予言の書」として一躍有名になった最大のきっかけは、東日本大震災に関する記述です。
しかし、この最も有名な予言こそが、「こじつけではないか」と指摘される最大の要因にもなっています。
1999年に朝日ソノラマから出版された初版の表紙には、作者のたつき諒氏によって「大災害は2011年3月」という文字が書き込まれていました。
出版から12年後、実際に東日本大震災が発生したことで、この記述が「予言的中」として大きな話題を呼んだのです。
この事実は非常に衝撃的であり、多くの人が本書に興味を持つきっかけとなりました。
一方で、この予言にはいくつかの疑問点が投げかけられています。
最も大きな点は、2021年に出版された『私が見た未来 完全版』の中で、作者自身が「漫画の中に描いた大津波は2011年3月のことではない」と明言していることです。
完全版の解説によると、作者が見た津波の夢は、登場人物が夏服を着ていたこと、そして津波の規模が東日本大震災の3倍ほどもあったことから、時期も内容も異なると説明しています。
つまり、話題のきっかけとなった「2011年3月」という表紙の記述と、夢で見たとされる内容には食い違いがあるのです。
このため、「後から起きた大災害に、過去の曖昧な夢を当てはめているだけではないか」という「こじつけ」疑惑が浮上しました。
さらに、一部では「初版の表紙は、震災後に話題性を狙って出版社が差し替えたのではないか」という憶測まで飛び交いました。
(これについては、初版の現物を所有している複数の人物によって当時から記述があったことが証明されています。)
このように、東日本大震災の予言は、『私が見た未来』の信憑性を象徴する出来事であると同時に、その曖昧さや作者自身による一部否定によって、「こじつけ」と判断される大きな理由にもなっているのです。
作者たつき諒の予言は本当に当たるのか
作者であるたつき諒氏の予言は、本当に当たるのでしょうか。
この問いに対する客観的な答えは、「的中率は高いとは言えず、解釈次第なものが多い」というのが実情です。
予言の的中率を判断する上で難しいのは、その内容の多くが非常に曖昧である点にあります。
例えば、作中では「海底火山の爆発」や「富士山の噴火」といった予言が描かれています。
これらはいつか起こる可能性が高い自然現象ですが、具体的な時期や場所が特定されていないため、世界のどこかで似たような出来事が起これば「当たった」と解釈できてしまうのです。
実際に2022年のトンガ沖での海底火山噴火が起きた際には、この予言が的中したと話題になりました。
しかし、予言自体に特定の場所が示されていない以上、これを完全な的中と呼ぶのは難しいでしょう。
また、的中したとされる他の有名な予言にも、解釈の幅が存在します。
ダイアナ妃の死の予言
1992年8月に「ダイアナ?」とメモされた女性が事故死する夢を見たとされています。
実際にダイアナ元妃が亡くなったのは1997年8月31日であり、月は近いものの年は5年もずれています。
これも「こじつけ」と言われれば否定しきれない部分があります。
フレディ・マーキュリーの死の予言
これも同様に、亡くなる15年前に夢で見たとされていますが、具体的な日付までが一致しているわけではありません。
このように、たつき諒氏の予言とされるものの多くは、後から起きた出来事に対して、過去の夢日記を照らし合わせて「これだったのではないか」と意味付けをしているケースが少なくありません。
人間は、膨大な情報の中から自分にとって都合の良い情報だけを選び取ってしまう傾向(確証バイアス)があります。
数多くの夢日記の中から、たまたま現実と一致したように見えるものだけが「的中した予言」として注目され、外れた多くの予言は見過ごされている可能性は十分に考えられます。
作者自身も、インタビューで「私は予言者ではない」と繰り返し述べています。
彼女の見る夢は、未来を断定するものではなく、あくまで個人的な体験や深層心理の表れとして捉えるのが、最も冷静な見方なのかもしれません。
ネットで囁かれる『私が見た未来』の予言一覧
『私が見た未来』の予言について、インターネット上では様々な情報が飛び交い、多くの出来事を的中させてきたかのように語られています。
しかし、情報を整理し一覧にしてみると、的中したとされる予言、外れた、あるいは検証が困難な予言が混在していることがわかります。
ここでは、これまで「予言」として話題になった主な事例を表にまとめてみましょう。
予言の内容 | 夢で見たとされる時期 | 実際の出来事 | 的中度・備考 |
東日本大震災 | 1991年1月 | 2011年3月11日 | △:表紙に「2011年3月」と記載。しかし作者は夢の内容は異なると否定。 |
阪神・淡路大震災 | 不明(夢日記に記録) | 1995年1月17日 | △:「15日後か15年後に神戸にひび割れた大地」という夢。日付にずれあり。 |
ダイアナ妃の事故死 | 1992年8月 | 1997年8月31日 | △:月は近いが年が5年ずれている。 |
フレディ・マーキュリーの死 | 1976年11月 | 1991年11月24日 | △:亡くなる15年前に夢で見たとされる。日付の一致はない。 |
富士山の噴火 | 1991年8月 | 未発生(2025年時点) | ×:夢では2006年か2021年8月に噴火するとされたが、起きていない。 |
2020年のウイルス流行 | 完全版発売後に後付けで解釈 | 2020年〜 | ?:原作・完全版ともに明確な記述なし。一部読者によるこじつけの可能性大。 |
2025年7月の大津波 | 1995年1月2日など | 未発生(2025年時点) | ?:本書で最も注目されている未来の予言。 |
この表からもわかるように、世間で「的中した」と騒がれている予言の多くが、日付や内容にズレがあったり、解釈の仕方次第でどちらとも取れたりする曖昧なものであることが見て取れます。
特に、富士山の噴火のように、明確に時期が示されていながら外れているケースも存在します。
一方で、2020年のウイルス流行のように、原作にはないにもかかわらず「予言していた」と一部で語られるなど、読者の側が過剰に意味付けを行っている事例も見受けられます。
このように、ネット上の情報を鵜呑みにするのではなく、一つ一つの予言を冷静に検証してみると、「こじつけ」と疑われる余地が十分にあることがわかります。
全ての予言を信じ込むのではなく、あくまでエンターテイメントの一つとして、あるいは防災を考えるきっかけとして捉える姿勢が重要です。
『私が見た未来』raw(原作)でわかること
『私が見た未来』の信憑性を検証する上で、「raw」、つまり1999年に朝日ソノラマから出版された初版の原作がどのような内容だったかを知ることは非常に重要です。
なぜなら、現在広く読まれている2021年の「完全版」は、原作が話題になった後、多くの解説や新たな情報が加えられて復刻されたものだからです。
結論から言うと、原作には現在注目されている「2025年7月の大災難」に関する具体的な記述や、夢日記の詳細な解説は含まれていません。
原作は、表題作である『私が見た未来』を含む、作者の体験談や伝聞に基づくホラー・オカルト系の短編漫画を集めた作品集でした。
その構成は、予言書というよりも、あくまで「ほんとにあった怖い話」といったジャンルのコミックに近いものです。
原作が「予言の書」として注目される唯一のきっかけとなったのが、前述の通り、表紙カバーに手書きで添えられた「大災害は2011年3月」という一文でした。
この一文がなければ、他の多くの漫画作品と同様に、時代の流れと共に忘れ去られていた可能性が高いでしょう。
東日本大震災の後、この表紙の記述がネット上で話題になり、原作が10万円以上のプレミア価格で取引されるようになると、作者になりすました人物が登場するなどの騒動が起こりました。
こうした状況を受け、作者のたつき諒氏本人が、自身の真意を伝え、混乱を収束させるために監修したのが「完全版」なのです。
つまり、完全版で追加された以下のような要素は、原作には存在しなかった「後付け」の情報であると言えます。
- 夢日記を元にした詳細な予知夢の解説
- 「本当の大災難は2025年7月にやってくる」という新たな警告
- なぜ夢日記を書き始めたのかといった作者の背景
このように、原作と完全版を比較すると、作品が持つ意味合いが大きく変化していることがわかります。
原作はあくまで夢で見た不思議な体験をベースにした短編集であったのに対し、完全版は「予言の書」としての側面を強く打ち出し、読者の関心に応える形で再構成されたものなのです。
この成り立ちを理解することが、「こじつけ」かどうかを判断する上で欠かせない視点となります。
2025年の予言も『私が見た未来』のこじつけか?
『私が見た未来』2025年のネタバレを紹介
『私が見た未来』の中で、現在最も注目を集めているのが「2025年に起こる大災難」の予言です。
この予言が、多くの人々に不安と関心を与え、本書がベストセラーとなる大きな原動力となりました。
ここでは、その具体的なネタバレ内容を紹介します。
完全版で明かされた2025年の大災難とは、一言でいえば「巨大津波」です。
作者のたつき諒氏がこの夢を見たとされるのは複数回ありますが、特に印象的だったのは1995年1月2日、阪神・淡路大震災の直前に見た夢とされています。
その夢の内容は、非常に具体的かつ衝撃的なものでした。
夢で見た光景
- 発生場所:日本とフィリピンのちょうど中間あたりの海底で、何かが「ボコン!」と爆発する。
- 津波の発生:爆発によって海底の土砂が巻き上げられ、太平洋の海水がまるで煮え立つようにドロドロと盛り上がる。
- 巨大な龍:盛り上がった海水が、巨大な龍のような姿となって暴れ回る。
- 津波の規模:東日本大震災の時の津波よりもはるかに大きく、3倍ほどの高さに感じられた。
- 被害範囲:巨大な津波は、日本の太平洋沿岸の3分の1から4分の1ほどの範囲を飲み込む。
この夢が現実になる日付として示唆されているのが「2025年7月5日」です。
ただし、これは「もし夢で見た日付が現実になるならば」という仮定に基づいています。
作者は、過去に見た予知夢が「5」のつく年や日付、あるいは15年後といった周期で現実になることが多かったという自身の経験則から、この日付を導き出しています。
この予言が多くの人に衝撃を与えたのは、その描写のリアルさと、日本の広範囲に壊滅的な被害が及ぶというスケールの大きさによるものです。
テレビやSNSでこの内容が拡散されるにつれて、「本当に起こるのではないか」という不安が広がり、社会現象ともいえる状況を生み出しました。
これが、『私が見た未来』における2025年の予言のネタバレの核心部分です。
たつき諒が語る2025年7月のネタバレとは
作品で示された2025年7月の大災難予言は、多くの人々に衝撃を与えましたが、作者であるたつき諒氏自身は、この予言についてどのように語っているのでしょうか。
実は、作者本人の言葉を追っていくと、世間でセンセーショナルに語られている内容とは少し温度差があることがわかります。
たつき諒氏は、完全版の出版後、複数のメディアからのインタビューに応じており、そこで2025年の予言に関する自身の見解を明らかにしています。
その発言から見えてくるのは、「予言を断定しているわけではない」という一貫した姿勢です。
例えば、あるインタビューでは、「帯の文言(本当の大災難は2025年7月にやってくる)は編集者が書いたもので、私にしてみたら、あの本は予言ではないし、予言漫画でもない」と語っています。
彼女にとって、この本はあくまで自身の夢の記録であり、未来を断定するものではない、というスタンスなのです。
また、「2025年7月5日」という具体的な日付についても、断定を避けています。
「私自身は、2025年7月に災難が起こるという夢を見ただけで、日付までは特定しておりません」と説明しており、5日という日付はあくまで過去のパターンからの推測に過ぎないことを示唆しています。
では、なぜ作者はこのような内容を出版したのでしょうか。
その動機について、彼女は「この話題をきっかけに、防災意識が高まったことについては、よいことだと感じています」と述べています。
つまり、恐怖を煽ることが目的ではなく、自身の夢の記録が、結果的にでも人々の防災意識を高める「きっかけ」になるのであれば、それは意味のあることだと考えているのです。
このように、作者たつき諒氏が語るネタバレの核心は、「予言の的中」そのものではありません。
むしろ、自身の意図とは離れて予言が独り歩きしてしまっている現状に戸惑いを感じつつも、それを防災への備えというポジティブな行動に繋げてほしい、という願いにあると言えるでしょう。
作品を読む際には、この作者の真意を理解することが、予言に振り回されないための重要な鍵となります。
『私が見た未来』と南海トラフ地震の関連性
『私が見た未来』で予言されている2025年7月の大災難は、多くの人によって「南海トラフ巨大地震」と関連付けられています。
テレビの特番やネットニュースなどで、この予言が南海トラフの危険性を煽る文脈で紹介されることも少なくありません。
しかし、結論から言うと、作中で「南海トラフ地震」という言葉は一度も使われておらず、両者を直接結びつける記述は存在しません。
では、なぜこれほどまでに関連性が囁かれるのでしょうか。
その理由は、予言されている災害の様子が、科学的に想定されている南海トラフ巨大地震の被害と酷似している点にあります。
南海トラフ巨大地震とは?
南海トラフとは、静岡県の駿河湾から九州東方沖にかけての海底にある、水深4,000m級の深い溝(トラフ)のことです。
ここではフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでおり、このプレートの境界が大きくずれ動くことで、過去約100~150年の間隔でマグニチュード8クラスの巨大地震が繰り返し発生してきました。
政府の地震調査委員会は、今後30年以内に70~80%という非常に高い確率で次の巨大地震が発生すると予測しており、最大クラスの地震が起きた場合の津波は、場所によっては30mを超えると想定されています。
予言との類似点
- 発生源:『私が見た未来』の発生源は「日本とフィリピンの中間あたり」とされ、南海トラフの位置と重なります。
- 被害範囲:予言では「日本の太平洋沿岸」に巨大津波が襲来するとされており、これも南海トラフ地震の主な被害想定域と一致します。
- 津波の規模:予言の「東日本大震災の3倍」という巨大な津波は、南海トラフで想定される最大クラスの津波を彷彿とさせます。
これらの類似点から、多くの人が「2025年7月の予言は南海トラフ巨大地震のことではないか」と考えるようになったのです。
しかし、これはあくまで読者やメディアによる解釈であり、こじつけである可能性も否定できません。
重要なのは、予言と科学的予測を混同しないことです。
気象庁は「現在の科学的知見では、日時、場所、大きさを特定した地震予知は不可能」と公式に発表し、具体的な日付を挙げる予言はデマであると注意喚起しています。
『私が見た未来』の予言をきっかけに南海トラフ地震への備えを考えることは有意義ですが、予言の日付に一喜一憂するのではなく、科学的根拠に基づいた正しい情報で防災対策を進めることが何よりも大切です。
核心に触れる『私が見た未来』のネタバレ
『私が見た未来』という作品について、「こじつけ」か「本物」かという議論を重ねてきましたが、その議論だけでは見えてこない、この作品の最も核心的なネタバレが存在します。
それは、「予言が当たるかどうか」という点ではなく、作者がその災難の先にある「未来」をどのように描いているか、というメッセージ性そのものです。
この作品は、単に恐怖や終末を予言するだけの暗い物語ではありません。
作者のたつき諒氏は、2025年に起こるとされる大災難の後、日本、そして世界には希望に満ちた「輝くような未来」が訪れると示唆しています。
作中で描かれる大災難後の世界は、物質的な豊かさよりも精神的な豊かさが重視される「心の時代」です。
人々は災害を通じて助け合いの精神に目覚め、それまでの価値観が大きく転換する、とされています。
このポジティブな未来像こそが、作者が本当に伝えたかったメッセージであり、この本の核心部分と言えるでしょう。
たつき諒氏の思想的背景には、インドで聖者サイババに会った経験など、スピリチュアルな体験が大きく影響していると見られます。
彼女は、夢を通じて受け取ったメッセージを、人類がより良い方向へ進むための警告であり、同時に道しるべであると捉えているのかもしれません。
このように考えると、『私が見た未来』は、単なる予言書やオカルト漫画という枠には収まりません。
それは、私たち現代人に対して「これからどのように生きるべきか」を問いかけ、防災という物理的な備えだけでなく、「心の備え」の重要性を説く、一種の啓発書としての側面を持っているのです。
「東日本大震災を当てた」「2025年に大津波が来る」といったセンセーショナルな部分だけを切り取って「こじつけだ」と断罪したり、あるいは盲目的に信じ込んだりするのは、この作品の一面しか見ていないことになります。
この作品の本当の価値は、予言の真偽を超えて、読者一人ひとりが未来や防災、そして自身の生き方について深く考える「きっかけ」を与えてくれる点にあるのではないでしょうか。
それが、この物語の核心に触れる、最も重要なネタバレなのです。
まとめ:『私が見た未来』がこじつけと言われる理由と2025年の真相
- 『私が見た未来』は東日本大震災の予言で有名になった
- 作者は夢で見た津波と東日本大震災は異なると語っている
- 予言とされる内容には日付のズレや曖昧な表現が多く見られる
- 的中したとされるもの以外に、外れた予言も存在する
- 「こじつけ」との指摘は、予言の曖昧さや解釈の幅広さに起因する
- 2025年の予言は、日本とフィリピン沖で発生する巨大津波を指す
- 作者自身は予言を断定しておらず、防災意識向上のきっかけになれば良いと発言
- 南海トラフ地震との関連は作中では言及されておらず、読者の解釈によるもの
- 科学的な地震予測と予言を混同しない注意が必要である
- 作品の核心は恐怖を煽ることではなく、災難の先の希望を描いている点にある